リアルなヨガ・ティーチャー育成プロジェクトTrue Arts Yoga 金子真矢のブログ ◆ワークショップ、イベントの詳細はカテゴリからどうぞ◆


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カテゴリ:◇Yogaについてのあれこれ( 145 )

TTを教える側の責任

ヨガの「資格を取る」という言い方に非常に違和感を覚えます。


その違和感がどこから来るのか、私なりに考えました。

TTに通って、先生になるための勉強をしているんです」

なら応援したい気持ちにもなります。でも

「資格を取った」には

「資格を取ったから自動的に教えられる」

みたいな安易さがあります。


そもそもヨガの資格って一体何でしょうね。

これほど曖昧なものって他にない気がします。

国家資格でも何でもないのに。

栄養士や鍼灸師と違って免許ではないし、

資格なんかなくても教えられるのに。


ヨガのTT(ティーチャートレーニング)の代表的なものに

『ヨガアライアンス認定200時間TT』というものがありますが、

これは指導者としての最低限の知識とスキルを身につける

言わば先生の登龍門的なトレーニングです。

30年ほど前に「ヨガティーチャーの国際的スタンダードを

定めよう」という流れで誕生したものです。


しかし今、RYSRegistered Yoga School=

アライアンス認定のTTを実施できるヨガスクール)

が増え、監視が機能しない中、

スタンダードはもはや崩壊しています。


資格はビジネスになり集客につながることから、

「アライアンス認定」を掲げるスタジオは

爆発的に増えました。大半が学ぶためのTTではなく、

資格のためのTTになってしまっていると思います。


結果、ヨガティーチャーの敷居はぐっと低くなり、

スキルの伴わない指導者が大量に輩出される事態となりました。

画一的なTTはまるで、ファストファッションのようです。

一見、裾野が広がってヨガ人口が増えて、

いいことづくしのように聞こえます。


確かに、昔よりヨガはずっとスタイリッシュで、

スムージー(笑)やrunやお洒落なウェアと相まって、

ライフスタイルとして定着しました。

ヨガ雑誌もぐっとそういう方向にシフトしていますよね。


でもそれを伝える指導者は?そのスキルはどうでしょう?

肝心のベースとなる部分まで、お手軽お気軽な感じに

バージョンダウンされては困るのです!


習い事の延長で“資格を取れる”ようになったものの、

どう教えて良いか分からない。活躍の場がない。

新人なんてなかなか雇ってもらえない、仕事にならない… 

迷える子羊を大量に生み出しただけかも知れません。


200時間のトレーニングにただ行っただけ」と

200時間の過程を修了した=先生としての

スキルが身についている」というのは全く違います。

本来『修了証』というのは後者を指すはずなのですが、

残念ながら「ヨガの資格を取りましたー」という人の

ほとんどが前者でしょう。


スキルというのは

安全に、効果的にヨガを教えることのできる

総合的なスキルのことです。


巷のヨガスクールに、TTを実施しているスタジオに、

声を大にして言いたいことがあります。

お願いだからプロとして通用するようになってから

世に送り出してください!!


私たちにはこの業界に対する責任があります。

大げさかも知れないけど、

おこがましいかも知れないけど、

業界を良くすることも、悪くすることも

私たち次第だということ。

いま私が教えている人が、ゆくゆく人を

教えるようになるわけで、

人を育てる責任って絶対あると思うのです。

その人がポーズを披露することしかできなかったら

ポーズの見た目や難易度ばかりに目が向いていたら

結果生徒に怪我をさせたら

何よりその人が

「なぜヨガを教えるのか/教えたいのか」という

根本的な目的すら見出せていないとしたら…

私はきっと自分を責めます。


以前シェアしたヨガジャーナルの記事。

いい記事です。

https://yogajournal.jp/7/2


教える側の覚悟と使命と責任、

そんなことを考えるようになったとは

私もいよいよ歳ですね。

友達にはヨガババアと言われます。笑


次回は「教わる側の責任」について…


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by mayayoga | 2018-05-03 14:57 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

改めて考えたこと

長年の構想であったTT300/500h終了を目前にして、

改めて私がヨガで伝えたいことや大事にしたいことを考えたとき、

やはり、「依存しない・させない」

「自立する・自立を促す」

「一貫性」、「正直でいる」

「理にかなった」、「地に足のついた」

…そんなキーワードがしっくりきます。

前に書いたブログ、「依存と自立」について改めてアップします。


…怒ってんなー(笑)

この時、某スタジオから「うちから半径2.5Km以内の他スタジオで教えるな」って言われたんですよね。


なぜ?何の権限があって?怒

私らフリーランスのヨガティーチャーやけど?

どこで仕事しようが私らの自由やろが!怒

拘束すんならそんだけの給料払ってくれるんかい!怒


あとは、スタジオ間のいざこざとか(私らイントラには全く関係ないこと)

生徒を取ったの取られただの、

あんたが新しいスタジオで教え始めたから生徒が流れただの、

(いや、そもそもスタジオに魅力あったら生徒さん残るって…)


そんなことに嫌気がさして、

該当スタジオどちらからも離れました。

どっちに着いたとか、んなクソみたいなこと言われるのも煩わしかったのでね。


スタジオ間のいざこざにインストラクターや生徒を巻き込むな。怒


どこのスタジオで教えるのも自由

生徒がどこで学ぶも、誰に学ぶも、離れるも自由です。


依存と自立

https://mayasalam.exblog.jp/25555573/

依存と自立 その②

https://mayasalam.exblog.jp/25758706/


#ヨガは究極の自己変容 

#ヨガティーチャーは方向性を示すだけ

#やるのは自分変わるのも自分

#アサナ依存アジャスト依存お断り

#キラキラ系ヨガもあっていい

#ヨガに何を求めるかも人それぞれ

#私はこう思うというだけの話



by mayayoga | 2018-04-07 09:32 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

ゴールはどこ?目的は何?

【ヨガのためにヨガをするの?ポーズのために練習があるの?】

先日のフィギュアFP放送日はクラスがガラガラでした。
予期せずプライベートクラスになり、Kちゃんとマンツーマンで色んな話をしながら、彼女の課題や練習の方向性について探っていきました。

4人の子育てをしながらウェブの学校にも通い出した彼女。「なかなかヨガに来られなくなって身体が硬くて…」と言いながらも何だか晴れやか。

あぁ、この人は地に足のついた生活のベースがちゃんとあるんだ。だから前ほどクラスに来られなかろうが、肩が硬かろうが、何も失ってない。ちゃんと“ヨギー(ヨガの実践者)”だわ。

そう思ってふと考えました。
がむしゃらにやる視野の狭い人と、生活の中にきちんとヨガがある視野の広い人との違いは何だろう?

ヨガはツールに過ぎず、目的ではないと私は思います。ヨガのためにヨガをしているのではないので。

だから練習が習慣になるのはいいけれど、執着になってはいけません。それと同様にポーズが目的になってしまうのも、ヨガの本質とはかけ離れています。

フォトジェニック(今はインスタジェニック“インスタ映え”って言った方がいいのかな)な写真のためにヨガするわけではないですから。笑


私自身がまずあまりにもポーズを取らない、載せない、クラス中もデモを殆どしない、ので、「金子マヤ 実はポーズできないんじゃねーか?」疑惑(笑)すらあるぐらいですが、

クラスで動かない、見せない理由はーー

まず自分が一緒にやってしまったら「生徒を見る」という一番肝心なことができなくなるから。もちろん初心者クラスは例外です!初心者は目で見ないと分かりません。(初心者に限らず Visual learner つまり目で見て確認しないと理解しづらいという人もいます。そういう場合は別です)

そして自分が“お手本”を見せることによって、生徒にポーズのいわゆる“形”を刷り込んでしまう恐れがあるから。各々の関節可動域や、筋力・柔軟性の過不足によってポーズはかなり違ってきます。目指すところも、“アラインメント”の概念すらも。

これは私の矜恃で いつも言っていることですが、ヨガの目的はアーサナ(ポーズ)を含めた一連のマインドフルな練習を通して何を学ぶかであって、ポーズそのものにあるのではありません。大切なのは形や結果ではなく過程。過程を理解することです。

だからシェイプを作ることやポーズの出来・不出来に着目して欲しくないのです。

「逆立ちができないんですが、どうしたらできるようになりますか?」
「身体が硬くて開脚できません。いつかペターッと(開脚前屈が)できるようになりますか?」

クラスを教えていれば皆、一度は聞かれたことがあるでしょう。

そもそも、どうしてベットスタンドやハンドスタンドができるようになりたいのか?
どうして180度の開脚前屈を目指すのか?
私は理由を尋ねます。

「どうして逆立ちなんでしょうか?タダーサナじゃダメなんでしょうか?」
「開脚で身体が床に着くとどんないいことがあるんでしょうか?」
と、事業仕分けの蓮舫並みに突っ込みたいところです。

タダーサナやダウンドッグの理解なくしてハンドスタンドはできませんし、180度の開脚前屈は股関節の構造的に不可能な人だっています。なぜ戦士のポーズⅡとかじゃダメなんでしょうか。笑

逆に言えば、どのクラスに行っても出てくるような地味で地道なポーズ(タダーサナや基本の立位のポーズ)を正しくコツコツやれば、逆立ちだって何だって大概できるようになります。ここで大事なのは“正しく”やることです。正しいというのはこれも形の正しさではなく、取り組みや方向性の正しさ。いわゆるアラインメントのことです。

私の好きな先生の一人であるドミニカ・セリガノもいつも言っています。
“To do is easy. To do correctly is difficult”
「ただやるのは簡単。正しくやることが難しい」

その人なりの課題を見抜き、それに合わせたティーチングをするのがティーチャーです。ポーズの手順と形を教えるだけならインストラクターでいい。

その“課題”というのも、身体の使い方だけではなく、メンタルや趣向にある場合もあります。

練習をしないと不安。
毎日練習をしないと身体が鈍る。
このポーズができるようになりたい

確かに「練習」は毎日やるに越したことありませんが、その練習ってなにも連続した激しいアーサナでなくても構わないわけです。リストラティブな日もあっていいし、ただのストレッチで終わるかもしれない。呼吸法も瞑想もヨガの練習です。

最初に言ったように練習が習慣になるのはいいけれど、執着になってはいけません。それで家の事や、食事や、家族との関わりなど、生活の基本がおそろかになったりしたらもう、何のためにヨガをやっているのか分かりません。

それと同様にポーズが目的になってしまうのも、ヨガの本質とはかけ離れています。ポーズは現代に生きているこの身体や、生活パターンや、日常の機能動作を補助してくれるものにすぎません。

そういえば私の尊敬する先生達も友人達も皆、サーカスみたいな「すごい」ポーズの写真をほとんど上げない。たまにトリコナーサナとか。地味ですね、笑

たまにそういう類のポーズを上げても、ウィットに富んだ笑いや皮肉が含まれている。要はネタですね、そういうの好きです。

逆立ちや派手なポーズがどうしてもやりたいならやればいい。それで何かに打ち勝ったと思うなら否定はしない。

もし「逆立ち100日間チャレンジ」とかがあるとしたら面白そうだけど、「マインドフルネス瞑想100日間チャレンジ」を選ぶかな。

それよりも私は「お弁当づくり100日間チャレンジ」や「毎朝ごはん作って旦那さんを送り出そう100日チャレンジ」の方がよっぽどチャレンジングだし、達成感があるだろうなと思う。

ピンチャもシルシャもハンドスタンドも、難解なポーズも自分でやるのは好きですよ?けれどそれをゴールにしようとは思わないし、クラスに入れるのには細心の注意を払います。

好きなポーズ?
タダーサナとシャバーサナです。
(いやホントに、これ昔からずっと言い続けてきたんですけどね)

今年はタダーサナとシャバーサナでインスタ映えを狙いに行こうと思います。

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↑Kayoちゃん。笑

by mayayoga | 2018-02-20 13:57 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

誰にも何にも媚びずに。

コントロールできないことをコントロールしようとしないこと、

ただそこに“在る”っていう感じが好き。

主張しすぎず、かと言って味気ないのでもなく、自分にばかり目が行っているのでも、周りや人の評価ばかり気にするのでもない。

質の良い陶器みたいに、壺か花瓶みたいに、どっしりと鎮座しつつ、活けられる花や植物は選べないけど、それがどう見えるかはその壺(自分)次第っていうのがいい。存在感がありながら空間と調和する感じ。

ヨガのクラスって何だろうと考えるとき、捉え方は人それぞれに様々あるでしょう。
学びであり、教えであり、道であり、コミュニティであり、仕事であり、趣味であり、自己表現や自己実現の一つであり、フィジカルなアクティビティーであり、エクササイズでもあるかもしれない。

だから「好き」「嫌い」「楽しい」「しんどい」「よかった」など、どう思い感じるかも主観的で一過性のもの。
そもそも私達ヨガティーチャーはクラスに来る人を選べないし、その人たちが何を感じて何を持ち帰るかはその人たち次第。

だから「好きです・嫌いです」に関しては「そうですか」としか言いようがないかも知れない。「ありがとう」でも「ごめんなさい」でもない。

そりゃ人間ですから「あなたのクラスが好きです」と言われたら悪い気はしないでしょうが、それを求めようとはしないし、それに左右されもしない。称賛を得るために、自分を満足させるためにクラスをしているのではないですから。かと言って「少しでも多くの人にヨガの素晴らしさを伝えたくて」とも全然思わない。

よく聞くことではあります。「私はヨガで変わった。だから少しでも多くの人に…」という類のやつ。

一見聞こえは良いですが、結局のところ独りよがりと大して変わらなく思えて抵抗があります。その“巷の多くの人”はあなたが熱を上げているものを同じレベルで求めていないかも知れない。

人に影響を与えられるとしたら、その“在り方”をもってしてだと思います。「何かあの人いいな(変わったな)。じゃ、あの人のやってるヨガっていうの、やってみようかな」

…そのくらい些細な、けれど確実に影響力を持つものです。まるで足元から波紋が広がり、やがてそれが大きなうねりとなるように。

だいたい、所詮人は分からないものです。「すごく良かったです!」「どこで教えてるんですか?!」という人に限って次は来ないし、熱心な人が常連とも限らない。逆につまらなそうにしていた人がぽつりぽつりと来てくれたりする。ついた離れたに一喜一憂していたらキリがありません。

目の前のクラス、その一回に淡々と真摯に取り組む。クラスは一期一会であり、90分のちょっとしたギフトです。

どこで何を教えようが、ただ淡々と“在る”こと、冷静で広い視野を持ちながら、何にも媚びず、どっしりとした存在感を持って“在る”こと。それが私の理想です。
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by mayayoga | 2018-02-13 21:42 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

“ヒップオープン”の落とし穴

ヨガのTTやクラスでよく耳にする「今日のテーマはヒップオープンです」とか「ヒップオープナーのポーズは…」とかいう言葉、意味を理解して使っている人がどれくらいいるでしょうね?

そして、それを聞いた普通の人はどんな反応をするでしょうか?
「ヒップオープナー?何それ」
「ヒップをオープン?え?尻を開くってどういうことじゃい??」
「お尻を柔らかくするってこと?」

当の本人がよく分かっていないのに、生徒に伝わると思いますか?この仕事をしていると上のような場面に多々出くわします。というか、習ったまま何となく教えてる…という類の人に多く出会います。

英語でHipは股関節(お尻じゃないよ)、オープンはまぁ日本語と同じで開くことですが、英語で“Hip Open”というと、股関節にくまなく効かせましょうという意味合いがあります。股関節は球関節ですから、360度あらゆる方向に動かしたいものです。

日本語にするとヒップ=尻、オープン=一方方向に開く、あるいはどこまでも柔軟にする を連想してしまって、それが誤解のもとなのではないかと思います。だからヒップオープン=開脚か、バッダコーナアーサナか、せいぜい鳩のポーズだと思ってる人多いし、「私、股関節が硬いんです…」って言ってくるのも ほぼ95%ぐらいが「開脚できません(前後、あるいは左右に)」って意味ですね。笑

大臀筋が硬くても、腸腰筋が硬くても、中臀筋の筋力不足でも、あなたの言う「股関節が硬い」ってことになりますけど?って。タダーサナだってきちんとやったら“ヒップオープン”のポーズになりますよね。骨盤を安定させるために股関節の筋肉総動員しているのでね。

股関節をテーマに教える場合、ちゃんとした先生はそれが決して柔軟ありきではないことを説きつつ、可動性と安定性両方の大切さを教えるし、何より日本語で、一般の人でも分かるように教えてくれる。

ヒップオープナーなんてよく分かんないこと言わなくたって、「こういう目的で、股関節のどこそこに注目してやっていきます」とかでいいと思う。股関節の動きのどれかに限定してアプローチするならその説明をしたいところです。股関節屈筋を伸ばしたいなら「ももの付け根の前側を伸ばします」でいい。

「それってどういうことですか?ハイ、あなたの言葉で説明して下さい!」的な言い回し、ヨガでは結構あると思うのですが、同じギョーカイ用語(?)で “プラクティス”も個人的に非常に違和感を覚えます。ヨガの練習のことですが、
猫も杓子もプラクティス プラクティス…
どいつもこいつもプラクティス プラクティス…
プラクティスプラクティスうるさいんじゃー!!!

「練習」でよくね?もとい、良いのではないでしょうか。
思いっきり和製、日本在住ウン10年の人の口からスラリと出てくるとは思えない“プラクティス”。普通にプラクティスなんて言いますかね?
私は英語を話しますが、日本語では「練習」って言いますよ。ま、いいけど。
ピアノは「レッスン」って言ったりしますけど、それはあまり違和感がないかも。「プラクティス」の違和感はなんだろな…
あっ、昔からある習い事に行く時みたいに「お稽古」っていいな。ヨガにも「お稽古」って使ってみようかしら。お稽古事の背筋がしゃんとする感じ、好きです。

あ、あと嫌なのはね、「気づき」笑
「気づいていきましょう」とか。笑
何だそれ?って。
もうちょいマシな日本語探せないものかしらね。

自分が発する言葉は声に出しても虫唾が走らないものがいいし、自分らしい、伝わる言葉を選びたい。
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by mayayoga | 2017-07-27 21:25 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

TTについて考えることと学びを重ねることへの想い

先日Yoga studio TrinityのRYT200時間のトレーニングが終了しました。主催のJuriちゃん、修了された5名の皆さん、おめでとうございます!とても良いグループでした。
人としてヨギーとしてブレない魅力のあるメインティーチャーのJuriちゃんと、解剖学は唯一無二!のマキさん。信頼のおける素晴らしいチームで仕事ができたこと、Trinityが初めて輩出するヨガティーチャーの養成、その一端を担えたことを幸せに思います。

今回のTT(ティーチャートレーニングの略。指導者養成講座のこと)のうち私は40時間分の「ティーチング」、つまり指導理論や実践の部分を担当しました。活発な議論が飛び交い、質問もたくさん出て、何より受講生それぞれが自分の課題と向き合い、失敗しながらも理解を深めていく様子を見て頼もしく感じました。悩んだ分だけ努力し、きっと素敵な先生になることでしょう。

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200時間のTTというのは言わばヨガティーチャーとしての登竜門。ヨガを教える最低限の知識と技術を一定期間かけて学ぶ場です。TTを受けるには、それ以前にヨガの練習歴や取り組みの真剣さ、本人の意欲が必要なのは言うまでもありませんが、巷の200時間を教えるスクールには「未経験からインストラクターに!」を売りにしているところも少なくありません。正直それってどうなんだろうと思います。例えばダンス初心者が半年やそこらで人を教えるまでになれるのか?バレエをやったこともないのにいきなりバレエの先生を目指す気になるか?…その辺がヨガに関しては緩いのか、非常に違和感があります。自分の身体のことも分からないのになぜ人に指導できると思うんだろう?

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トレーニングというのはとかく方法論に終始しがちですが、生徒がポーズの形を真似るだけならDVDでも良い訳で、、わざわざ教室に足を運んで習うからには「得られる何か」があるはずなのです。それを考えさせるのがTTの目的だと私は思います。

そもそも「ヨガを教える」ということが自分にとってどんな意味を持つのか、何故先生になりたいのか、ヨガの中でもどの分野に興味があるのか、、という根本を掘り下げることが必要に思います。なぜなら 人を教え、人の身体を扱うと迷う事だらけだからです。このポーズはこう、アジャストはこう、というマニュアル的な解決法はないのです。私たちヨガティーチャーの仕事はポーズ(の形)を教えることではなく、ポーズを通して教える「何か」についてずっと考えていくことなのです。

本来、終了証だとか、アライアンス認定だとか、時間数だとかは日々の練習や取り組みの前にはあまり意味のないことなのですよね。同様に経歴の羅列も、その人のセンスと技量と練習量の前にはあまり意味をなしません。笑

ヨガは資格や免許がなくても教えられますから、どこぞのトレーニングなんぞ出ていなくても素敵な先生はいます。優れた指導者から地道に学び、指導を継承している先生もいます。ではなぜトレーニングやワークショップの受講を重ねるかというと、もちろん継続教育的な意味合いもありますが、何をどのくらい学んだ、どのような分野の勉強をした、ということを表す目安としての整理整頓的な意味合いがあると私は思います。

ストイックに日々練習をして(それはもちろん大切です)そこから教えることができたら良いですが、広い海のようなヨガの世界ではしばし道を見失いそうになることがあります。その時その時で深めたいと思う分野、例えばシニアヨガならシニアヨガの、ヴィンヤサならヴィンヤサのトレーニングを受け、インプットして自分のヨガのツールを整理する。方向性を定める。そういう事のためにトレーニングを活かせたらいいなと思います。

終了証は経歴を華々しく飾るためにあるのではありません。同様に自分を良く見せたり、自分を納得させるために経歴があるのではないと思います。多種多様な資格で経歴を固める人ほど自分に自信がなかったりもしますよね、、

肝心なのはTTやワークショップを受けた数ではなくて、落とし込む努力をしているかということです。量より質!これはヨガに限らず全てにおいて言えることです。習ったことをすぐには教えられませんし、修了証は「学びました」という証であって、「教えられます」ということは別問題です。

受講したTTなりワークショップなりの時間数をただ淡々と受け入れ、内容を咀嚼し、落とし込んでから教える。そうあって欲しいと願います。

True Arts Yogaでは11月から半年間、長年の構想であった300時間(アライアンス500時間)のアドバンストレーニングを実施する予定です。詳細は追ってお知らせします。

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Congratulations!

by mayayoga | 2017-07-04 12:46 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

「ことばとじかん」通訳weekで考えたこと色々

NYから帰って来てすぐ1週間ほど通訳でした。
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↑女が惚れるいい女、Kanakoさんから頂いたお花♡いつもありがとうー!

まずMaria KirstenのメンタルヘルスのためのヨガWSとシニアヨガTT。
マリアのティーチングは地に足がついていて好きです。ヨガという枠にとらわれず、また“シニアヨガ”という枠を超えて「日常の機能動作をいかに効果的にこなすか」「強さとしなやかさ(筋力・スタミナ・柔軟性)のバランスの取れた身体を作るか」に焦点が絞られていて余計なことがない。せっかくヨガをするんだから身体にとって、そして生活にとってプラスになるようじゃないと本末転倒。

「ポーズを教えるのではなく、ポーズを通して身体に必要な動きを教えるのです」

何度も言っていたこの言葉は私のモットーでもあるので、とても共感。
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週末はおなじみドミニカのトレーニング。
もう何回目の大阪でしょうか、ベーシックシリーズ、逆転ポーズ編、そしてこの女性のためのリストラティブ、ともう何回関わったか忘れるぐらいご一緒していますが、いつも「指導者としてどうあるべきか」というシンプルかつ基本的なところで大いに学ばされます。
リストラティブも単なる休息にならないよう、足や脚の働きをきちんとしてから背骨の伸びを感じたり、胸を開いたり。アイアンガーにはきちんと検証と実践、そして理屈があるところが好きです。
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通訳は言葉を届けるだけの存在ではなく、その講座の空気感をも担います。
先生のトーンやカラー、その講座の目的とするところに基本的には口調を合わせます。どれだけ正確でも、まくしたてるような早口はダメ(生徒がノートを取れない)。しかし限られた時間を1分1秒も無駄にすまいとも思います。通訳を通すことで先生の本来のティーチングがそれでなくても“半分”になってしまうのでね。

ワークショップやトレーニングは限られた時間の中で講座が展開します。
参加者は皆さん労力とお金を費やして来ているので、言わば5時間なら5時間は“みんなの時間”なわけです。長ったらしい自己紹介をするのも(誰もあなたのヨガヒストリーを聞きに来ている訳じゃない 笑)、先生の注意を引くことだけが目的に思えるような、グループにとってあまり有益ではない質問をするのも(例えば個人的な、あるいは勉強不足から来るような質問だったり)、休み時間の度に質問に来たりするのもいかがなものかなー、と思います(休み時間は先生と通訳も休みたいもの。トイレにも行けないよ…)

また言葉を扱う仕事をしていて思うのは、うまく言いたい事をまとめて発言したり質問したりできる人はインストラクションも端的で分かりやすいということ。自分のTT生達には常日頃から口を酸っぱくして言っていますが、プレゼン能力もヨガティーチャーにとって大切なスキルの一つです。

日本人によくあるのが、脈絡なく話したり要領を得ない質問をすること。
「前からちょっと肩が調子悪くて、色んなクラスを受けに行くんですけど、インストラクターによく反り腰だって注意されて、自分ではそんなに自覚ないし特に腰が痛いとかはなかったんですけど、アサナにすごい癖があるとかって言われて。あ、その前に首を一度痛めたことがあってー、、、」
…って結局何が言いたい(聞きたい)んですか?って参ることがあります。日本語と英語とでは言葉のつくりが違うから仕方ないのかも知れませんが、主語がなかったり、結論を最後まで言わなかったり、話しているうちに何が言いたいのか当の本人が分からなくなってしまったり…

・・・話が逸れました。
ヨガ通訳はほぼ日本語力とテンポとヨガの専門知識が物を言います。また、自分の声を通して先生のティーチングを届けるけれども、そこに「わたし」が出過ぎてはいけない。かと言って黒子でもない。存在感を出し過ぎず、いい調味料ぐらいになれたら良いかと(笑)

いくら正確に訳しても伝わらなければ意味がないので、なるべく自然な日本語になるよう努めていますが、そうすると長くなったりして納得のいく仕上がり(笑)になりません。ただでさえどうしても英語より日本語の方が長くなってしまうのに。
たまに参加者から「先生が言ってないことまで言って下さってすごく分かりやすかったです!ありがとうございます!」とか言われると「うーん、それも違うんだけどなー…」と頭を抱える。基本的に先生が言っていないことを付け加えてはいけません。しかし直訳だと意味を成さない場合は意訳にすることもあります。丁寧であろうとするあまり、くどい言い方になってしまうこともあり、それが多分「補足してくれて…」になるのでしょう。悩ましいです。改めてこの仕事の難しさを感じます。

通訳仕事の翌日は冬眠か?と思うほど寝て、回復するまで最低でも丸一日かかりますが、それを上回る魅力はやはり講師と生徒との橋渡しができた時の充実感でしょうか。それから私はそもそも言葉を扱うのが好きなのだとも思います。読むこと、書くこと、発すること、考えること、、、それぞれに豊かで飽きることがありません。

ビール開けて反省会して次!!
by mayayoga | 2016-12-06 16:30 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

魅惑(疑惑)のインド その②

リシュケシュ滞在中の出来事

深夜3時、
ドン!バン!バン!というただならぬ音で飛び起きた。

一体何事かと思ったら、
どうやら私の部屋のドアが破られようとしていた。

誰かが体当たりしてドアを開けようとしている。
安宿の頼りない鍵とドアは今にも壊れそうだ。

状況が把握できない混乱と恐怖の中、
ありったけの力で内側からドアを押さえながら

"WTF! Who the fuck is it ?!"
何なんだよ!誰だコノヤロー!

そしたら心底気持ち悪い男の声で
"I wanna sleep with you"
君と寝たい ときたもんだ。冗談じゃない。

しかしそれならそうと、そもそも部屋をノックするところから始めるだろうが(笑)

なんの前触れもなく夜中にドアを蹴破ろうとするなんて
タチが悪すぎる。底知れない異常さを感じた。

"Get the hell out a here!!!" 出てけー!
I'm gonna call the police!!" 警察呼ぶぞ!

毛が逆立つとでも言うのでしょうか
アドレナリン最大放出。心臓バクバク。
まさに"Fight or flight" 闘争逃避反応 ですね。
交感神経優位になり、全身の血流が手足に行く
(戦うか逃げるかするためにね)ってやつ。

この部屋にはフロントに通じる電話なんてなかった。
隣の部屋には欧米人の男性が泊まっていたが、
運悪くこの日の朝チェックアウト。つまり空室。
上の部屋には先生(日本人女性)が寝ていた。
しかし床と天井は石造りで、声は届きそうになかった。

部屋は角部屋で廊下に面しており、腰高窓が2つ。
そのうち男は窓側に回り出し、今度は窓をカチャカチャ…
ちょっとしたホラーだ。

武器になりそうなものは何もなく、
バケツと椅子ぐらいしかない。
万が一ドアが破られたらどうしようか、
使えるものはないか必死に考える。
シーツをかぶせて、その隙に椅子でぶん殴って逃るとか。
でも犯人は1人ではないかも知れない。

ありったけの声で
ふざけんなー!とか、何なんだ!消えろー!とか
日本語英語でわめき散らし、ドタバタ暴れ、
男は諦めたのかしばらくして静かになった。

当然眠れるわけもなく、ドキドキしながら様子を見る。

そしたら
小一時間してまた来やがった。体当たりpart2
恐怖通り越して怒りが湧いてきた。

「ドアは蹴破るもんじゃない!頭おかしいんか!
ノックすんのが先だろうがぁ!!」

の後、何て叫んだか覚えてない。
考えつく限りの英語の罵り言葉言い尽くした(笑)
再び攻防戦。ドア→窓→ドア→窓 の繰り返し。
もーやだ。

空が白み始めてようやく朝。
街がザワザワとし出して従業員や宿泊客の
朝の気配を感じてからようやく部屋を出て
一目散にホテルの管理人のところへ。怒り爆発。
同時に上階の先生のところにも報告。

「なんだって?!」と驚愕する管理人。

とは言え、私は犯人追及にも解決にも
大して期待はしなかった。
外国とはそういうところだ。
「そうなんだ、大変だったね。いろんな人がいるね」
で終わり。
自分の身は自分で守らねばならない。

この時期、休日か寺院への参拝だかで
インドの地方からリシュケシュへいわゆる「よそ者」が
多く来ていたらしい。結局、
「他の地域から来たやんちゃ者の仕業だろう」
ということになった。

これも「やっぱりね」だった。
外国ではよくあること。

大概都合の悪いことは他人のせいにしたがる。
ここの人間がやったんじゃない。
よその悪い奴の仕業だよ。
ここの人達にそんなことする奴はいない。
…という具合に。

この時(約10年前)は、インドで大きな問題になっている
レイプ事件について知らなかった。近年、世界的に関心を
集め、いかにこのような事が頻発しているかを後々になって
知ることになったわけだが、さもありなん。
「ああ、こういうことだったのねー」と納得する。

欧米人女性がホテルで被害に遭いそうになって
窓から飛び降りて脱出したケースもあった。
合鍵を使って入られたらしい。従業員もグルだった。


インド北部のリシュケシュはヨガの聖地だ。
アシュラムや寺院が多くあり、ヨガに携わる人、
ヨガの学びに身を捧げる人も少なくない。
そんな環境から、他の大都市に比べると穏やかで
比較的安全、悪い人はあまりいないと考えられている。

しかし、当然ながらそんなことはないのだ。笑
どこにでも人を騙し、貶めようとする悪人はいる。
外国人が集まる場所なら尚のこと。
カモが集まっているということだ。

インド農村部の女性蔑視、残酷なレイプや殺人事件について
知ったのはずっと後になってからのことだけれど、

自分の身に起こったこの事をきっかけに、
インドに対する憧れや尊敬や期待感は一切なくなった。
幻想を抱かなくなった。それどころか
ますますドーン!と地に足ついて帰ってきた。笑

「リシュケシュはさぞかし神聖な場所だろうから、
素敵な経験と学びが待っているわよねぇ
行ったら価値観変わるのかしら?
スピリチュアルなことに目覚めるかしら」

なんて期待して行ったつもりはなかったが、
どこかで浮かれていたのだろう。

「インドに行ったら何が変わる」的な
他力本願があったのではないか。

否、何も変わらない。


何かを求めて行ったら何も変わらないけど
何も期待しないで行ったら発見がある。

そんな感じじゃなかろうか。
インドに限らず、きっとどこでもそうだろうけど。

それ以降
「インド?わぁ素敵ー!」なんて全然思わなくなったし
もう一度行こうなんて気にもならなかった
(しかしその数年後に仕事で再び行くことになるのだが笑)

何でもそうだけど、
外に答えを求める限り何も見つかりはしない。
旅は考えるきっかけを与え、経験から更に考える機会を
与えてくれるだけの存在ですね。

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by mayayoga | 2016-05-13 10:51 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

魅惑(疑惑?)のインド

ヨガをしていたら
誰しも一度は行ってみたいと思うのがインドだろう。
10年くらい前の私もそうだった。
ヨガを始める前から興味があったインド、
究極の面白旅ができそうな予感がしたし、
よく言われる「価値観変わるよ!」
なんていう言葉にも弱かった。

ヨガをするようになってからは
ますますその発祥の地であるインドに惹かれたし
伝統に触れてみたかった。行ったら自分のヨガの
練習の何かが変わるんじゃないか、とか
何か掴めるんじゃないか、とか、
それこそ価値観が変わるかも!
なんてワクワクしていた。

アーユルヴェーダ、マントラ、プージャ、哲学、
占星術、アシュラムでの生活、ベジ食、
伝統的アーサナ、寺院、神様たち、、

そういうキーワードはちょっとヨガをかじって
ハマり出した者たちを魅了する。笑

で、行くことにした。
20代の終わりに確か10日かそこら。
お決まりのリシュケシュとハリドワールにね。

その当時習っていた先生が、総合的なヨガの学びを
深めるためにインドと日本を行き来する生活を
していて、その影響を受けたというのもある。
何よりとにかく行ってみたかったし、
色々体験してみたかった。要はインドに
「自分探しヨガver.」的な期待をして行ったわけだ。

結果、旅行としては面白かった。
観光地的なところは一切行かなかったにもかかわらず。
(私の旅はいつもそう。名所とかスルー)

でも別に何も変わらなかったし、感化されなかった。
それどころか色々と覚めて(冷めて?)帰って来た。

アーユルヴェーダのクリニックでは
「うん、健康!問題ナシ!」と言われ、憧れの、
処方された薬をアーユルヴェーダ薬局で買う♪とか
毒素出すトリートメント受けに通う♪とか、
いかにも「らしい」ことは必要ないと言われた。
納得いかない顔の私にドクターは
「そんなに何か飲みたいなら、コレでも買っといたら?」と言い、
どこにでも売ってる万人向け健康食品、
ミキプルーン的なペーストを入手して終了。笑


色んなクラスを受けに行くも、
どれも普通。大概イマイチ。
目から鱗!みたいなクラスには出会えなかった。
1つだけ、とても好きでハマった川べりのスタジオで
陽気な先生のクラスがあったけれど、
チャレンジポーズと派手なアジャストオンパレードで
身体クタクタ…あれよあれよと言う間に
自分では届かない場所に手足が届いたり、
できないアーサナができたり。
普通はそれに夢中になるのかも知れないけれど、
私は次第に何だか自分でやってる気が
しなくなってきてしまい、飽きた。

私の受けた数少ないクラスにおいては
ほとんどの先生が生徒の身体を大して見ても
いないような気がした。全然心地良くない。
練習する部屋は寒いし(2月だった)
埃っぽくて汚いし、集中できない。
正直アーサナだけなら解剖学に詳しく、多角的に
物事を捉えることができる先生のもと、アメリカの
スタジオで練習した方がよっぽどいいと思った。

「えー?!だってインドはヨガの本場だし、
伝統的なアーサナを学ぶって貴重なことでしょ?」

なんて声が聞こえてきそうですが、
そもそも「伝統的なアーサナ」なんて
なかったかもしれないのですよ?

なぜなら、現在広く定着しているヨガ=アーサナ自体が
欧米的な考え方のもと、20世紀初頭の40年ほどの間に
作り上げられたものだから。
インドの伝統的なヨーガ実践においては
瞑想の座法を除く身体的鍛錬、つまりアーサナは
低俗なものとして捉えられていたのだから。

言ってみればアーサナはエクササイズ。
インドでもそれは同じだった訳だ。

※詳しくはマークシングルトン著
『ヨガ・ボディ -ポーズ練習の起源-』
を読むといい。とても興味深い

私たちが、伝統的なもの、もしくは古典だと
思っている太陽礼拝だってエクササイズ。

ー本文よりー
シュリ・ヨゲンドラは “太陽礼拝はインドの
太陽崇拝に合わせて作られた『体操の一種』で、
間違った情報を得た人々によってヨーガの一部
のように扱われてきているが、権威ある筋からは
はっきりと禁止されているものだ”


こういう解釈って面白い。

私たち日本人は、とかく「本場感」に弱いけれど、
私たちが勝手に作り上げたインドの「本物感」に
ごまかされて本質を見失う。
そして、外国人のヨガ熱と無知をいいことに、
それを利用して適当な似非ヨガ商売をする
インド人もいることだろう。

インドだからいいわけでも、ダメなわけでもない。
欧米がダメなわけでも、いいわけでもない。
作られたイメージに惑わされず、自分で選んだらいい。

よく「やっぱりヨガとかしてたらぁ、
インドって一度は行った方がいいですかねぇ?」
って夢見るユメコ系の子に聞かれるけど、

「うーん、どうかな^ ^何がやりたいかによるよね」
ってニッコリ答える。本音は

「“行った方がいいか”なんて知らんわボケ。
“行きたいか・行きたくないか”やろが。
自分で決めぇや!」だけども。笑

アーサナだけなら今やどこでもできる。ただし、
アーユルヴェーダを本腰入れて勉強したい
ヴェーダンタやサンスクリット語を学びたい
マントラのきちんとした発音と意味を知りたい
伝統的なヨーガを総合的に学びたい
インドの文化として根付いているヨーガに触れてみたい
ならば、インドに行く意味は絶対にある。
インドの学校でしか学べないことはたくさんあるだろう。

しかし、そういう人たちや諸先輩方は
何年も費やして学びを深めておられるからね。


ちょっと旅行で行ったぐらいじゃそうそう人生変わらない。
旅行は旅行。本人は何かを掴みに行くつもりでも、
やっぱり旅行なのだなぁ、と思う。

長くなったので続きはまた…
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by mayayoga | 2016-05-07 17:04 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

依存と自立 その②

あんまり言われることないけど、もし
「マヤ先生みたいになりたいです」とか
「憧れます」とか言われたら
複雑な思いがするだろうなー。
服装や、立ち居振る舞いや、教え方で
わたしのコピーみたいな人たちが出てきたら
もっと気持ち悪いし、自己反省するなー…

それってそうさせてしまう何かがあるってことで、
生徒を依存・執着させたりするってこと。
本人は意図してのことじゃなくても
「わたしを憧れの対象として見て」
って発信してる何かがあるのではなかろうか。
そして、実はその人自身にも依存・執着傾向があるような気がしてならない。

先生を憧れの対象として崇める生徒よりも、
憧れの対象として見させる先生側に
問題があることが多いんじゃないかなー。

深いところでは、コンプレックスと繋がってる気がする。
ブランドものや良いもので身を固めることで
自己証明する、みたいなね。
外見何もかも抜かりなくすることは、裏を返せば
素の自分で勝負できない弱さだったり。

私はブランドものに全く興味がないけれど
中途半端な成金や見栄っ張りはブランドネームに惹かれて、
本当のお金持ちはあんまりそういうこと考えてない気がする。
エルメスのケリーバッグをLLBeanのトートバッグ並みに
ガンガン床に直置きして使うとか(笑)
無造作に扱うとかしてるマダムがいたらカッコいいなぁ!
バッグは物入れるもの!車は移動するもの!
どんなにいい車乗ってても肝心の中身(所有者ね)が
不釣り合いだったら失笑もん。
もしも私がヨガセレブだったら、フェスタとかの会場に
颯爽と軽自動車で乗り付けるぐらいの余裕とユーモアかましたいなぁ。笑

話が逸れました。
ええと、依存・執着傾向ね、

もちろん中にはたまに、神がかってる、常人離れした
不思議な魅力を持つ人がいる。
本人には全くそんな気がなくても、そういう人の元には
癒されたいとか救われたいとかいう厄介な人たちが
やってくるから、それはそれで大変だな〜…と思う。
それはもう、そういう星の下に生まれたと思って
受け入れるしかない。菩薩だ、菩薩。

だけどそれ以外の多くの場合、カリスマという称号は
本人の勘違いか、周りからのイメージ操作のような気がする。

カリスマ歯科医、カリスマ整体師とか言われてる人は
大概胡散臭いし、自分でカリスマを名乗っちゃうのはもっとアウト。

本当に腕のある人は残るけど、メディアで話題に
なるような人や“◯◯メソッド”って
一過性のもののような気がしてならない。
それでいいからうまーくそれを利用して、
自分の名前と顔を売って、、っていう
“したたかさ”があればそれでもいいと思うけど。

カリスマじゃなくていいから普通に、いや、めちゃくちゃ
腕のいい歯医者さん、みたいな存在でいたいな。
派手じゃなくていいけども一流を目指したい。
言うなれば柔道の師範みたいな感じかなー。
K1とかに出てなくて、派手に広告打ってなくて、
でも紅白帯の知る人ぞ知る強者、みたいな。

普通普通、普通が一番。

ヨガのおねえさん的な存在かな。
(っていう歳でもないので、おかあさんでもいいや)
いやいや、わたしは親しみやすい訳ではないからちょっと違うかな。笑

目標とされるような存在になることはいいけど
盲信的について来る生徒を作るのは違う。
執着したくないし、させたくない。

同様に「マヤ先生のクラスはすごいです!」とか
「他の先生と全然違います!目からウロコです!」
とか言われたとしたら、それもなーんか違う。

うそやん!嬉しいやろ?
なにカッコつけてんの?

て言われるかもしれないけど、、
いや、ほんとに。
確かに有り難いことだとは思うけど、
批判覚悟で言わせてもらおう。

わたしがすごいんじゃない。
他の先生がちゃんと教えてないだけ。
もしくはちゃんと教えてる先生に出会えてないだけ。

普通にティーチング勉強して教えてたら、
生徒の課題を見抜き、それに応じた教え方ぐらいできる。
っていうかそれぐらいは当たり前。

過度な柔軟性はセーブし、硬い身体は柔軟にし、
体力筋力が足りない人はスタミナつけさせ、
各自の課題に意識を向けたティーチングをする。
それを通して目的や取り組みを明確にしたり、
精神的スタミナを身につける。
道徳観に触れ、考えるきっかけを与える…

わたしを始め、指導者はそれに気づかせ導くだけだ。
やるのは生徒、決めるのも生徒。選ぶのも生徒。
何かができるようになったり、何かに気づいて
変わったとしたら、それはわたしのおかげではない。
生徒自らがやったことだ。

素晴らしいのは私ではなくヨガ。
ヨガが素晴らしいのは、自己変容を起こせるところ。
そして、そんな風に変わっていく人の成長に立ち会えるところ。

この仕事は素晴らしい。
けれど、それを自分の名声や地位を高めることに使い出したら終わりだ。
by mayayoga | 2016-05-05 05:00 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

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