リアルなヨガ・ティーチャー育成プロジェクトTrue Arts Yoga 金子真矢のブログ ◆ワークショップ、イベントの詳細はカテゴリからどうぞ◆


by mayayoga

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カテゴリ:◇Tunisia滞在記2002-2005( 14 )

TUNISIAへの想い

Tunisia
2002年から2005年まで協力隊で派遣された私の “アナザースカイ” 20代の柔軟な時期に多くの貴重な経験を与え、考えさせ、一回りも二回りも成長させてくれた国。
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日本で滅多に名前の出ることのない北アフリカの小国が連日ニュースを騒がせている。首都Tunisのバルドー博物館でのテロリストによる襲撃事件。
ご家族との楽しい旅行の最中、たまたま居合わせて被害に遭われた被害者の方やご遺族の心中を思うとやり切れない。どれだけ恐ろしかったことだろう。その国に一時期でも暮した者としては心からお悔やみを申し上げたい。

チュニジアは観光で成り立っている国だ。主にヨーロッパ各地から大型ツアー客がやってくる。主な観光名所には一年を通して観光バスが行き来し、私の暮らした地中海沿いの街モナスティールにもツアー客専用の飛行場や、街外れにZone Touristiqueという旅行者専用の大型ホテル密集地があったほど。
チュニス近郊のカルタゴ遺跡やメディナと呼ばれる旧市街同様、あのバルドー博物館もそんなツアー客定番の観光地だった。私も日本から母が来た時に一度訪れたことがある。
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アラブだけれども日本人の想像する生粋のアラブとも少し違い、アフリカでもない。
チュニジア人たちは自分たちのアイデンティティーをマグレブ(北アフリカの民族)またはメディトレニアン(地中海の民族)と表現することがある。独特の文化を築いてきた国。日本にはなじみのない国だから、メディアではアラブ・イスラム諸国の一国という取り上げ方しかされない。せいぜい「アラブ諸国の中では比較的安全らしいよ」ということぐらいしか伝わってこない。
ネットのコメントには「リビアの隣国なんだから危ないに決まっている」、「こんな時期にイスラムの国に渡航するなんて」といった声さえある。日本にとっては遠いアラブ。イスラム=危険という構図で片づけられでしまうことはあまりに稚拙で悲しい。アジアの国々にも違いがあるように、アラブの国々もそれぞれ違う。イラン、イラク、シリア、ヨルダン、エジプト...遠く情報の乏しい日本からは同じように語られがち。モロッコもトルコもチュニジアも同じアラブでありイスラムの国だけれど全然違う。
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アラブの優等生と言われたチュニジアも多くの闇を抱えている。インテリ層と貧困層との間には思想的にも格差があると感じる。高い失業率への不満から、若者が中心となり「アラブの春」の発端となった革命を起こしたけれど、現状は一向に改善しなかった。将来へ希望が持てない地方の若者はイスラム回帰を謳うISISの巧みなリクルートに乗せられ、多くがシリアへ渡った。その数は3000人以上とも言われ、近隣諸国の中では最多だ。政権への不満、格差への不満、一向に良くならない暮らしへの不満...そんな不満を持った者がチュニジアに帰国し、いつかこんなことが起こるのではないかと心配していた矢先の悲劇。今回のテロの背景はまだ解明されていないが、何だか嫌な予感がする。

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昨年10年ぶりに訪れてみたけれど、何だか国が荒んでいた。観光客が集まるような場所も以前のような賑わいや輝きを失い、サービスの質も低下していた。革命前の独裁政権下では言論統制が徹底され、不穏分子は徹底して排除・抑圧されていたというが、物事は統制がとれていたと感じる。人々は自由と引き換えに何を得、何を失ったのだろうか。

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チュニジアを旅行で訪れたことがある日本人に出会うと皆さん口をそろえて「美しい、素敵な国」と言う。
旅行で来るとそんな風に見えるんだー、ということが沢山あって新鮮だった(笑)

どこでもそうだと思うが、住んでみると良いことばかりでは決してない。
若くてもかなりタフな2年半だったし、何度も「こんな国大っ嫌いだ」と叫んだ。
人々はしたたかで計算高く、物事は想像の何倍以上もうまく運ばず、中流・富裕層はプライドが高く競争心が強く、協調性がない。建物も何もかもすべてが中途半端で、外側だけ見ればとても美しいけれども、中身や設備が全くなっていない。洗練という概念は存在しないのではないかとすら思える。

同じ協力隊員を除き心から打ち解けられる人は皆無で孤独だった。おかげで過度に期待しないことや冷静に物事を見る目が養われたし、海外生活に幻想を抱かないこと(笑)や、肩の力の抜くことを覚えた。それから度胸とコミュニケーション力が身についた。たまに出会う素晴らしい人、最高の受け入れ先と校長、ダンスを教えた生徒たちに救われて2年半も暮らせた。
愛着があり、大っ嫌いでもあり、忘れられない出会いと経験があり、二度と暮らす気にはならないけど、やっぱり忘れられない国。良いことも、その何倍もあった嫌なことも、今となっては懐かしく思い出される。

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かつての教え子たちは立派な若者に成長し、これから国の成長を担っていくことだろう。
彼女たちの暮らすチュニジアの未来が明るいことを心から願っている。

昔の写真を整理していたら、写真で見るととても美しく、素敵な国に見える。
綺麗事ばかりじゃなかったけれど、写真を見る限り「悪くないじゃん」と思える。
旅行で来ていたら決して見えなかったであろう現実や、リアルな人々の暮らしに触れられたこと、美しい空や海がある一方で、それと同じぐらいの闇や反吐が出そうなほど嫌な部分があることに気づき、幻想を抱かなくなったこと、揉まれて強くなれたことはやっぱり良かった。心の故郷などと言った美しいものではないが、やはり想いを馳せる地であることには変わりない。

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by mayayoga | 2015-03-21 00:06 | ◇Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(0)

Arigato♡

今回の訪問を知らせたら、日本人並みの細やかさで私の滞在をオーガナイズし、同窓会を企画してくれたNesrine、彼女のお母さんはちゃんと私達を「娘の先生」として敬意を払って接してくれた貴重な人だ。帰国する時に特大クスクスを作って届けてくれたことが今でも忘れられない。北アフリカの代表的な料理、クスクス。こればっかりは再現できない。各家庭によってやっぱり味が違い、どれも手の込んだ美味しさがある。
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今回はご自宅でクスクスをご馳走になった。すごく感じが良くて博識なお父さんと、3人の優秀な子供たち。この親にしてこの子あり。良い家庭のお手本みたいな一家。
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以前は普通に売っていたのに、今回はどこに行っても見つけられなかったチューブタイプのハリッサ(チュニジアのチリペースト) をどこからか探してありったけを買い占めて、わざわざ出発前に届けてくれた。もう、涙出る。
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それにしても相変わらずグランドサイズのお土産の数々…大家さんから2キロのデーツと、先述のご家族から植木鉢サイズのハリッサと、こう見えてかなりズッシリの伝統菓子バクラワ(笑)…すごく嬉しいのですが、ちょっと頭を抱えてしまいます。10年前は大理石でできたすんごく重たい置物とか立派な額縁に入った感謝状とかもらったなぁ。教え子たちはさすが!よく分かっています。マグネットやキーホルダーといったミニマムなお土産をくれました。
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家族の繋がりを大事にするチュニジア。結婚したと言ったら必ず「子供は?まだ?」とセットで聞かれる。4年目だけど子供できなくてねー、と言うと、その場は笑って「インシャッラー」と流してくれたけど、次の日の別れ際、ネスリンのお母さんは皆から離れた所に私を手招きして、一言一言、言い聞かせるようなフランス語でこう言う「お節介かも知れないけど、一度病院に行きなさい。大丈夫、私が一番下の子を授かったのは42歳の時よ」
…お母さんってホント、どの国も一緒だな。優しくて、大きくて、なんでわかるんだろう?ってことまで知ってる。

今更ながら、私達が関わっていたのは中流以上の家庭の子供達だったのだなぁと思う。教育が職業に、職業が生活の質に直結する。良い成績を収めなければ進学することができず、進学できなければ収入の良い仕事に就けず、子供に教育を受けさせることができない。どの国でもそうだけれど、ここでは特にそれが顕著。女性の社会進出著しいチュニジア、教え子たちの話を聞いていると、就けない職業はないのではないかと思うぐらい頼もしい。
一方で地方の若者達は失業率の高さから自暴自棄になり、ある若者の抗議の焼身自殺をきっかけに旧独裁政権への反発が高まった。それが「アラブの春」の発端になった、チュニジアの「ジャスミン革命」
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あれから2年、革命後のチュニジアがどうなったか気になっていたけれど、肌で感じる変化はそこら中にありました。人々には選択の自由が与えられ、我慢しなくてよくなった分、個々のモラルによってあらゆる物に差異ができている気がした。どこもかしこも街中ゴミだらけ。建物はどことなく錆びれて活気がない。旅行者が減ったから仕方がないのかもしれない。サービスの質も低下しているし、何となく荒んでいる…
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自由と引き換えに失った物は少なくないと思う。国の質が問われるのはこれから。私達の教え子ぐらいの若い世代がこの国の経済を支え、動かすようになった時には以前のような輝きを取り戻してくれることを願っています。
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by mayayoga | 2014-06-17 06:56 | ◇Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(1)

教え子達との再会

Monastirの小さな音楽ダンス学校、教えることの工夫と喜びを教えてくれた私の原点。
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教え子達は今や高校生、大学生、大学院生、医師や薬剤師の卵、エンジニア…首都や海外へ出て行ってしまう子が大半の中、地元に残り勉強の側らダンスを教えているNesrineとSarah、早いものでもう20歳。
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蒔いた種が立派に花を咲かせているようで感激でした。13年の間にダンス科に関わった日本人は全部で8人。一人一人が水をやり、それぞれの思いで育ててきたと思います。でもやっぱりそれを実らせるのは少女たちの強い意思あってこそ。
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チュニジアでダンスを続けること、ましてや職業にすることは容易ではありません。正直言ってレベルも世界のそれと比べられるようなものではないでしょう。ジャズやストリートダンスはともかく、彼女たちがやっていることを果たしてバレエと呼んで良いのかどうか…という複雑な思いはあります。でも、いいんです。チュニジアで、女の子たちが自分の打ち込める何かを見つけることができて、それをまた次に伝える。そうやってチュニジアなりの情操教育としてのダンスが育っていけば。

私は立派なダンサーを育てることを目指してはいませんでした。そもそも私にその能力はありません。規律を教えること、幼いうちから学業という競争社会に置かれる子供達に、勉強以外に打ち込める何かを提供すること。もう少し大きな夢を語れば、それを伝えていってくれるような指導者がチュニジアに産まれればいいな、と思っていました。ダンスの指導者に求められること、それは派手な衣装を見せびらかすことでも、自分がプリンセスになって注目を浴びることでもありません。完全に裏方です。実際、発表会の時の私の格好はひどいものでした。首にタオルを巻き、Tシャツを肩まで捲り上げて大声で場を仕切り、走り回る…花束贈呈で舞台に呼ばれるのが恥ずかしくて仕方ありませんでした。
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↑in 2003-2004

ちょうど私達が10年前にしていたのと全く同じように、私達の教え子が少女達を教えている。目をキラキラさせながら大勢の子供たちが通ってくる様子は当時と全く変わりません。何が感激って、一番伝えたかったことがちゃんと伝わっていたこと!

「日本人に教わって良かったことは、規律をしっかり教えてくれたこと。時間を守ること、物を大切にすること、しっかり練習に来ること、今自分が教えるようになってその有り難さが分かる。テクニックだけじゃなく、規律はとても大切。皆に対してフェアであるために、練習に来なければ発表会には出さない。それで保護者達とすごく揉めるの(笑)」

「一体マダム達は膨大な衣装をどうやって調達していたんだろうと思う。当時は分からなかったけど、自分が発表会をするようになって分かった。それがどれだけ大変なことか!ほぼ全部手作りなんて!」

「昔、みんなで教室の床を雑巾がけしたり、発表会のステージを綺麗にしたりしたでしょ?単純に楽しかった。チュニジアには自分で使うものを自分で掃除するという概念がないから、私達が生徒に掃除させたら親達からクレームが来る。でも、自分達の教室は自分達で大切にしなきゃいけないって事を言っているの」

ちょっと出来過ぎじゃありませんか?と思えるけど、そんな風に話してくれてこれ以上嬉しいことはありません。みんな当時10歳ぐらいの少女達だったけど、ちゃんと見ていたんだなぁ。保護者とのやり取りに苦労したり、ダンスを習う規律を一から教えることに右往左往するのは昔も今も全く変わらない(笑)
「若いと余計にナメられるから大変で…」なんて言うから笑ってしまった。「私達なんて若い上に余計幼く見えるし、言葉もロクにできなくてもっと大変だったよ!」と。

NesrineとSarah、首都でダンスを教えるChaima 、がんばれ。一見キャリアと関係がないように思える何かも、長い目でみたらきっとあなたたちの人生を豊かにしてくれる。何より、若い時に試行錯誤しながら好きなことをやってみるというのは素晴らしいこと。
Bon courage les mademoiselle !!
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by mayayoga | 2014-06-16 21:34 | ◇Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(0)

Monastir

首都から車で2時間、2002年から2005年まで暮らした任地Monastir。
ホテルはチュニジアによくありがちな「外見は綺麗にして中身は残念」ってやつです。まぁ覚悟はしていましたが。設備や食事が最悪(笑)ハードだけちゃんとしてソフトが全く追いついていないっていう典型ですね。
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エアコンが効かず、室温35度。フロントに言いに言ったらメンテナンスの人をよこして、天井外してガチャガチャすること小一時間。やっと冷たい風が来たと思ったら1時間も持たず(笑)またフロントに降りて行って「また壊れたみたい。出かけるからその間に直してね」と言い、帰って来たら温室のまま!さすがに3回目は我慢の限界で「部屋変えろ!」と怒鳴り込んだら、メンテナンスにそう伝えた、だの、満室だからどうしろって言うんだ?だの、修理の人はホテル全体を一人で担当してるから仕方ないだの言われる(笑)責任転嫁することもこの国の国民性だったなぁ…
散々待たされて進捗報告もナシ。ロビーで待っていようものなら延々と待たされた挙句忘れられることになります。この国では、辛抱強く待つことも大切ですが、他人の都合を顧みず要望を伝え続けないと動いてなんかくれません。
日本だったら何か不都合があったらまずお詫びして別の部屋を用意しますよね?それが工具持ったお兄ちゃんが来て直す(笑)直らなくても、悪いのはフロントじゃなくて設備担当という訳です。つくづく日本のサービスの質って素晴らしいな、と思う。
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気を取り直してプールサイドやビーチでのんびり。この一帯はzone touristique と言って主にロシアやヨーロッパからの客向けにリゾートホテルが林立。ホテル内で一人で食事している人は見かけても一人でバカンスに来ている人なんて皆無だから、ちょっと浮く(笑)
プールサイドではヨガらしき?エクササイズが行なわれていました。
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なぜかツーリスト向けホテルなのに私の天敵、チュ二男軍団がいて、側を通る女の子達をジロジロ…9割ぐらいの確立で野次られるので、つい昔の癖で身構える。
「チンチョンチャン!」出たー!笑
面白いからニコニコしながら聞いてみた。

私:「私に言ってる?よくわかんないんだけど、それってどういう意味?」
チュ:「実は僕もわかんない(笑)フランス語できるんだ?」
私:「少しね。住んでたから。久々に来たの」
チュ:「失礼なこと言ってごめん」

サッカーチームの合宿の男の子たちでした。2部リーグの試合があるらしい。ワールドカップの最中に。一通り和やかに話して別れる。多分すごく若い。彼らにとってナンパは挨拶と一緒なので、決まり文句は
「結婚してるの?」「旦那さんは?一緒に来てるの?」です(笑)
なので、面倒なことに巻き込まれないためには、指輪をする、既婚者だと言う、さらに誰かと一緒であることを言う。という事が3つセットで必要になります。それより、実年齢を言うともっと効果的です(笑)下手したら彼らの母親との方が歳が近いかもしれないから。
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昔住んでいた家に向かう。いつのまにか3階建てになり、木が育って立派なお家に。
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当時すでに高齢だった大家さんですが、ご健在でした!初めて会ったのが12年前。帰国してから全くやり取りせず突然訪ねたのに覚えていてくれました。
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魚や肉をふんだんに使ったクスクスは最大のおもてなし。これを食べるまでは帰してもらえそうにありません…
by mayayoga | 2014-06-14 17:55 | ◇Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(0)

Tunis 懐かしさと変化

チュニジア10年ぶりの訪問。突然思い立って1ヶ月前にチケットを取った。
2年半暮らしただけだけど、あまりに濃すぎて何年分もの人生経験をさせてくれた、私の「アナザースカイ」。若かったから何でもできたし、今思えば家を借りて暮らし、100人超の子供を教え、関係先と交渉し、、なんてことはもちろん、日々の細かいこと諸々を一体どうやってやっていたんだろうと思う。暮らす中での不都合は色々あったはずだけど、歳をとったからか、良いことしか思い出さない。うっかりノスタルジーに浸ってしまう。

久々に来てみたら、五感が色んな思い出を引っ張り出してきている。埃っぽさと半端ない暑さ、耳に懐かしいチュニアラビア語とフランス語、したたかさと人の良さが表裏一体の“アラブ感”…空港に着いてから昔暮らしたMonastirという街に向かうまで「あー、そうだった」「そういえば、こうだったなー」とか、いちいち思い出しては懐かしんでみた。

空港からのタクシーは多分見事にぼったくられた。「メーターつけてよ」と言ってみたものの、「システムが変わってfix priceになった」だの何だので20DT取られる。住んでいた時だったら戦っただろうけど、今はもう旅行者な訳だし、旅行者からぼったくる観光業で成り立っている国だから、まぁ良しとしよう。日本円で1300円ぐらいだし。
車窓から見る限り街は何一つ変わっていないように思えた。「革命後何か変わった?」タクシーの運転手に聞いてみる。「高い失業率に失望した若者が革命を起こしたけど、現状は革命前より悪いよ。物価も上がったし。肉なんて以前の3倍だよ」

首都チュニスから地方に行くにはルアージュという乗り合い長距離タクシーが一番早くて安くて便利なのだけど、北行きと南行きとでターミナルが分かれている。5人乗りの乗用車タイプから8人乗りのバンまで様々。定員に達したら出発する。運良くエアコンつきの新しい車種に当たればラッキーだけど、そうでなければ灼熱の中、窓を開けて走るから、砂埃で肌も髪もバリバリになる。本当は電車もあるのだけど、めんどくさいし時間がかかるから一度しか使ったことがない。シートベルト無しで80キロから100キロで疾走するボロい乗り合いタクシーなんて、もうアッラーの神に命運を任せるしかないんだけど、これしか足がないから仕方ない。
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ターミナルの喧騒は10年経っても全く変わっていなかった。以前は運転手に直接料金を払っていたけど、事前にチケットを買う方式に変わっていた。客引きのお兄ちゃんが変わりに買いに行ってくれ、10円単位までお釣りをくれようとする。物の値段が交渉で決まったりするアラブだけど、そんな誠実な人に会うと嬉しい。お、なんか普通にいい人だな。と思っていると決まって「お茶でも飲まない?」という誘いが来るのだけれど。笑 そんな時非常に便利なのは「インシャ・アッラー」神がそう望めば。「明日会える?」みたいなどうなるかわからない約束事は全てインシャッラーで交わす。
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眠気と疲れと、こみ上げてくる懐かしさの中で色んな事を考えたけど、ハッキリ実感したのは「若さと度胸と順応力とある程度の語学力さえあれば、どこに行っても生きていけるもんだ」ということ。
今回の訪問で何かが変わって見えたら、それは10年の月日によるものなのか、「アラブの春」の発端のジャスミン革命のせいなのか、それとも私が歳を取って柔軟性がなくなったからなのか?きっと全部。変わらないものなんてないんだろうな
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by mayayoga | 2014-06-14 04:56 | ◇Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(2)

10年ぶりの大集合

土曜日、東京で青年海外協力隊の同窓会に参加しました。
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ちょうど10年前、福島の山奥にある訓練所で79日間寝起きを共にし、語学や様々な事を学んで同じ時期に世界に旅立って行った仲間達。
バックグラウンドも年齢も様々な、けれど熱い思いは同じ130余名と過ごした濃い2ヶ月半は、そのあと任国で過ごした2年半と同じかそれに勝るぐらいの財産です。
何しろ若かったので、脳みそも柔軟でした。有り余るエネルギーを笑いと情熱に変えて、毎日が楽しくてしょうがなかった。

10年経って、とっくに「青年」を過ぎてしまった54名が集まり、楽しい会になりました。
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10年の間に結婚したり、母になり父になりした人も、経験を活かした仕事に就いている人もいれば、全く違う道に進んだ人も。
けれどベースには同じものが流れていて、これは本当に独特な感覚だと思うのですが、みんな世界との垣根が低いのです。

モロッコとボツワナの2人と一緒に。
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民族衣装、かわいいな。。チュニジアには民族衣装らしい衣装がないので残念。
インドネシアに行っていた旦那さんはタンザニアの衣装を着せてもらって浮かれています。
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思い出に浸った一日でした。
テンション上がり過ぎて4次会まで敢行されたそうです(笑)私は3次会で抜け、夜行バスで大阪へ戻り、早朝新大阪でスパに行ってスッキリしてから大阪と京都で2クラスこなすという、なかなかタフな旅になりました。

みんなありがとう!
by mayayoga | 2012-11-27 16:31 | ☆Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(3)

sadness

洗濯機が壊れてしまいました。
コインランドリーを探すことばかり考えていたのですが、ふと思い立ちました。

そうだ、洗濯機なんかなくても洗濯できるんだった。

お風呂の浴槽に水を張って洗剤と洗濯物を入れて足で踏み踏み。。。
何回か水を変えて、脱水して干す(なぜか脱水機能だけは生きてた)。

チュニジアにいた2年半は毎日こうやって洗濯していたのでした。別に大変なことでも何でもなく、普通のことだった。

お世話になったBechirの訃報に際し、足踏み洗濯しながら、またチュニの色んなことを思い出し。。泣きながら足踏み洗濯。ハタから見たらさぞかし滑稽でしょう。

昨日おととい、もちろんクラスには行きますし、その時は目の前のことに集中しますが、それ以外では他の事はあまり手につかず。思い出しては泣いてばかりいました。
本当に悔やまれます。
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by mayayoga | 2012-03-16 15:45 | ☆Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(0)

突然の訃報

一生のうちに出会う人の中で、家族や恋人以外で大切な、深く関わり合いを持てた人、
いつまでも心に残るであろう人ってどのくらいいるのだろうかと考える。
きっとそう多くはないはず。今日、そんな一人を失いました。

Mr. Bechir Harzallah

昔、協力隊でチュニジアに行っていた時の私の配属先である、
モナスティール音楽ダンス学校の校長先生。
歴代の協力隊員がとてもお世話になり、本当に良くしてくれた。

協力隊が配属される環境というのは世界各国、地域やその運営母体によって様々で、
中には理解や協力が得られずに苦労したり、本人と受け入れ先との間に
温度差があったりと、活動に支障をきたすことも少なくない。

その点、私たちはとても恵まれていた。少なくとも私はそう思う。
いい加減な仕事がまかり通るチュニジアだけれども、良識があり、協力的だった。

いつ見ても忙しそうに仕事をしていたっけ。
運営や、省庁のご機嫌取り、父兄とのやり取りに、
外国人である私たちの受け入れとケア...ざっと考えただけでもめまいがしそう。
きっとものすごく大変だったんだろうなぁ。
何よりあのチュニジアで、芸術を教育として根付かせようと献身的に
校長職を務めてこられた姿勢に敬意を表したい。

チュニジア生活は楽しいことばかりではなかったけれど、
活動そのものはとても充実したものだった。
あの校長だったからこそ、そしてあの学校と子供たちがいたからこそ、
2年の任期を7か月延長してまで残ろうと決めた。
いい経験をさせてもらった。 若さゆえに自分本位で呑気だった。笑

あれからちょうど10年。今、歳を取ったせいか、
あの頃周りにいた色んな人や出来事に思いを巡らせてみると
あの頃はちっとも分からなかった色んなことが見えてきたり。。
そのせいでだいぶ涙もろくなっている。
時が経って、記憶を思い出として美化しているだけかもしれないけど
不思議と良いことしか思い出さない。

校長先生は責任者であり、上司であり、良き理解者でもあった。
任期中、色んなことがあって1年ほど一人で教師をしていた頃、
たくさん相談に乗ってもらった。
どんなときも味方になってくれ、小さいことにも耳を傾けてくれた。
国や言語の垣根を越えて信頼し合えた数少ない人の一人だと思う。
友達とも家族とも違うし、帰国後連絡を取り合っていたわけではないけれど、
失ってみてその存在の大きさに自分でも驚いている。

チュニジアのことを思うとき、いつも彼と、彼がしてくれたことを思った。
だから今回の突然の訃報は本当にショックで悲しくて、受け入れがたい。

数か月前に電話した時、結婚の報告をとても喜んでくれた。
病気を患い、校長職を退いたと聞いた。
「でも大したことないから大丈夫。いつこっちに遊びに来るんだ?」
...会えなくなったら後悔するから、再会できるうちに再会しておこうと
今年中にチュニジアへ行くことを計画していた。そんな矢先の訃報だった。

悔やんでも悔やみきれない。
会いたかった。もっと早く会いに行けばよかった。

人生何が起こるかわからない。
会いたい人には会っておいたほうがいい、
やりたいことはやっておこう。
そして、後悔しないように生きよう。
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写真を整理していたら、彼と写っている写真はこの1枚しかないことに気がついた。
自分の親との写真が少ないのと同じように。。
いつもそこにいるのが当たり前の存在だった。
Mr. Bechir, ありがとう。
まだ亡くなるような年齢じゃなかったのに、残念です。
もうちょっと待ってて欲しかったよ。。
by mayayoga | 2012-03-15 05:43 | ☆Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(0)

Tunisia

チュニジアが大変なことになっている。

私が住んでいた頃、チュニジアは表向き平和に見えた。
だけどその裏で、現政権を脅かす不穏な動きや言動は、秘密警察のもと監視され
一掃されてきた。その犠牲になった人がどれくらいいるかわからない。
言論の自由などなく、ほんの道端の会話でも政治に関わる事を口にするのはタブーという
風潮があった。インターネットには閲覧規制がかけられ、送信したはずのメールが
届かなかったり、受信できなかったり、webベースのフリーメールが一切使えなかったり
と、私たち外国人も抑圧的な気味の悪さは実感していた。
メールは逐一チェックされているという噂が流れたほど。
共和制を取っていても、実際はかなり共産主義的なところがあった。
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アフリカの優等生なんていわれていたチュニジアだけど、
発展と表向きの安定と引き換えにいろんなものを抑制してきたのでしょうね。
各地で起こったデモや暴動が拡大し、国民の鬱積した不満が噴出。
23年間に及んだ強権政権が、ベンアリ大統領の亡命で幕を閉じた。
この国が良い方向に変わってくれることを願うばかりです。
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アフリカ諸国の中でも経済的に発展し、(けれどそれは観光資源があればこそ。
今回の一件で観光客が離れてしまったらどうなるんだろう。。)
美しい地中海と遺跡と、雄大なサハラ砂漠を有する小さな国。
アラブの一国でありながらアフリカやヨーロッパとも良好な関係を築き、
過去に大きな内戦や流血事件を起こさず独立国した国。
もともとインテリ層も厚いのですから、これ以上の騒ぎにならず
鎮静化して欲しいものです。
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by mayayoga | 2011-01-16 17:05 | ☆Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(5)

Tunisia回想録5 青い海と柔の心

Monastir(モナスティール)
首都Tunisから車で2時間半。海沿いの美しい街が、私が2年半過ごした任地だ。
写真で見るとそれはそれは綺麗に見えるが、実際はちょっと中途半端なリゾート地。
どうしても伊東か熱海を連想させる(ご出身の方、ごめんなさい)。
「もうちょっと頑張れ。。」というところがチュニジアらしい。
街の大きさは程好くて、大体歩いてアクセスできる。
市場で新鮮な食材も手に入るし、スーパーもある。見晴らしのいい遺跡もあれば
ヨットハーバーだってある。今思えば、悪くない任地だ。
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私が帰国する数ヶ月前、同じく協力隊員の相方がチュニジアに遊びに来てくれたことがあった。
彼もまた2年間、インドネシアで柔道のコーチをしていて、私より先に帰国していたのだ。
チュニジア滞在中は旅行にも行ったけど、
一番面白かったのはチュニジア人と柔道ができたこと。
2年もいながら、Monastirに柔道クラブがあることを、私は知らなかった。
二人で散歩をしていて、何気なく体育館に立ち寄ってみると、柔道着を着た人たちが!
部屋の中に入ってみると、チュニジアには珍しい綺麗な畳と、
子供からお年寄りまで、熱心に練習をする人たちの姿があった。
たぶん一目で、体格のいい彼が柔道をやっているということが分かったのだと思うが、
突然の日本からの訪問者を快く受け入れてくれた。
ぜひ一緒に練習がしたいと言われ 翌日また訪ねると、人のよさそうなチュニジア人のコーチが
自分の柔道着を貸してくれた。チュニジア柔道連盟のお偉いさんまで来ていて。。。
b0130734_1574360.jpg
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後にも先にも、あれほど爽やかで、礼儀正しいチュニジア人には会ったことがない。
若い男の子も沢山いたが、私の嫌いなチュニ男がいない!
皆真剣に彼の話に耳を傾け、素直で前向きな様子が、見ている私にも伝わってくる。
真摯な姿勢。。私にもいろいろ話しかけてきてくれる。
なんなんだろう、この清々しさ。。。
感動すら覚えた。
人の姿に感動したのは、チュニジアで初めてだったかもしれない。
それぐらい、衝撃的だった。

遠いこの国にも、柔の心は伝わっているのか。。
柔道とは偉大なものだ。
日本人であることを、すこし、誇りに思えた。
by mayayoga | 2008-08-21 02:02 | ☆Tunisia滞在記2002-2005 | Trackback | Comments(2)

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