リアルなヨガ・ティーチャー育成プロジェクトTrue Arts Yoga 金子真矢のブログ ◆ワークショップ、イベントの詳細はカテゴリからどうぞ◆


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カテゴリ:◇Yogaについてのあれこれ( 141 )

“ヒップオープン”の落とし穴

ヨガのTTやクラスでよく耳にする「今日のテーマはヒップオープンです」とか「ヒップオープナーのポーズは…」とかいう言葉、意味を理解して使っている人がどれくらいいるでしょうね?

そして、それを聞いた普通の人はどんな反応をするでしょうか?
「ヒップオープナー?何それ」
「ヒップをオープン?え?尻を開くってどういうことじゃい??」
「お尻を柔らかくするってこと?」

当の本人がよく分かっていないのに、生徒に伝わると思いますか?この仕事をしていると上のような場面に多々出くわします。というか、習ったまま何となく教えてる…という類の人に多く出会います。

英語でHipは股関節(お尻じゃないよ)、オープンはまぁ日本語と同じで開くことですが、英語で“Hip Open”というと、股関節にくまなく効かせましょうという意味合いがあります。股関節は球関節ですから、360度あらゆる方向に動かしたいものです。

日本語にするとヒップ=尻、オープン=一方方向に開く、あるいはどこまでも柔軟にする を連想してしまって、それが誤解のもとなのではないかと思います。だからヒップオープン=開脚か、バッダコーナアーサナか、せいぜい鳩のポーズだと思ってる人多いし、「私、股関節が硬いんです…」って言ってくるのも ほぼ95%ぐらいが「開脚できません(前後、あるいは左右に)」って意味ですね。笑

大臀筋が硬くても、腸腰筋が硬くても、中臀筋の筋力不足でも、あなたの言う「股関節が硬い」ってことになりますけど?って。タダーサナだってきちんとやったら“ヒップオープン”のポーズになりますよね。骨盤を安定させるために股関節の筋肉総動員しているのでね。

股関節をテーマに教える場合、ちゃんとした先生はそれが決して柔軟ありきではないことを説きつつ、可動性と安定性両方の大切さを教えるし、何より日本語で、一般の人でも分かるように教えてくれる。

ヒップオープナーなんてよく分かんないこと言わなくたって、「こういう目的で、股関節のどこそこに注目してやっていきます」とかでいいと思う。股関節の動きのどれかに限定してアプローチするならその説明をしたいところです。股関節屈筋を伸ばしたいなら「ももの付け根の前側を伸ばします」でいい。

「それってどういうことですか?ハイ、あなたの言葉で説明して下さい!」的な言い回し、ヨガでは結構あると思うのですが、同じギョーカイ用語(?)で “プラクティス”も個人的に非常に違和感を覚えます。ヨガの練習のことですが、
猫も杓子もプラクティス プラクティス…
どいつもこいつもプラクティス プラクティス…
プラクティスプラクティスうるさいんじゃー!!!

「練習」でよくね?もとい、良いのではないでしょうか。
思いっきり和製、日本在住ウン10年の人の口からスラリと出てくるとは思えない“プラクティス”。普通にプラクティスなんて言いますかね?
私は英語を話しますが、日本語では「練習」って言いますよ。ま、いいけど。
ピアノは「レッスン」って言ったりしますけど、それはあまり違和感がないかも。「プラクティス」の違和感はなんだろな…
あっ、昔からある習い事に行く時みたいに「お稽古」っていいな。ヨガにも「お稽古」って使ってみようかしら。お稽古事の背筋がしゃんとする感じ、好きです。

あ、あと嫌なのはね、「気づき」笑
「気づいていきましょう」とか。笑
何だそれ?って。
もうちょいマシな日本語探せないものかしらね。

自分が発する言葉は声に出しても虫唾が走らないものがいいし、自分らしい、伝わる言葉を選びたい。
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by mayayoga | 2017-07-27 21:25 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

TTについて考えることと学びを重ねることへの想い

先日Yoga studio TrinityのRYT200時間のトレーニングが終了しました。主催のJuriちゃん、修了された5名の皆さん、おめでとうございます!とても良いグループでした。
人としてヨギーとしてブレない魅力のあるメインティーチャーのJuriちゃんと、解剖学は唯一無二!のマキさん。信頼のおける素晴らしいチームで仕事ができたこと、Trinityが初めて輩出するヨガティーチャーの養成、その一端を担えたことを幸せに思います。

今回のTT(ティーチャートレーニングの略。指導者養成講座のこと)のうち私は40時間分の「ティーチング」、つまり指導理論や実践の部分を担当しました。活発な議論が飛び交い、質問もたくさん出て、何より受講生それぞれが自分の課題と向き合い、失敗しながらも理解を深めていく様子を見て頼もしく感じました。悩んだ分だけ努力し、きっと素敵な先生になることでしょう。

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200時間のTTというのは言わばヨガティーチャーとしての登竜門。ヨガを教える最低限の知識と技術を一定期間かけて学ぶ場です。TTを受けるには、それ以前にヨガの練習歴や取り組みの真剣さ、本人の意欲が必要なのは言うまでもありませんが、巷の200時間を教えるスクールには「未経験からインストラクターに!」を売りにしているところも少なくありません。正直それってどうなんだろうと思います。例えばダンス初心者が半年やそこらで人を教えるまでになれるのか?バレエをやったこともないのにいきなりバレエの先生を目指す気になるか?…その辺がヨガに関しては緩いのか、非常に違和感があります。自分の身体のことも分からないのになぜ人に指導できると思うんだろう?

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トレーニングというのはとかく方法論に終始しがちですが、生徒がポーズの形を真似るだけならDVDでも良い訳で、、わざわざ教室に足を運んで習うからには「得られる何か」があるはずなのです。それを考えさせるのがTTの目的だと私は思います。

そもそも「ヨガを教える」ということが自分にとってどんな意味を持つのか、何故先生になりたいのか、ヨガの中でもどの分野に興味があるのか、、という根本を掘り下げることが必要に思います。なぜなら 人を教え、人の身体を扱うと迷う事だらけだからです。このポーズはこう、アジャストはこう、というマニュアル的な解決法はないのです。私たちヨガティーチャーの仕事はポーズ(の形)を教えることではなく、ポーズを通して教える「何か」についてずっと考えていくことなのです。

本来、終了証だとか、アライアンス認定だとか、時間数だとかは日々の練習や取り組みの前にはあまり意味のないことなのですよね。同様に経歴の羅列も、その人のセンスと技量と練習量の前にはあまり意味をなしません。笑

ヨガは資格や免許がなくても教えられますから、どこぞのトレーニングなんぞ出ていなくても素敵な先生はいます。優れた指導者から地道に学び、指導を継承している先生もいます。ではなぜトレーニングやワークショップの受講を重ねるかというと、もちろん継続教育的な意味合いもありますが、何をどのくらい学んだ、どのような分野の勉強をした、ということを表す目安としての整理整頓的な意味合いがあると私は思います。

ストイックに日々練習をして(それはもちろん大切です)そこから教えることができたら良いですが、広い海のようなヨガの世界ではしばし道を見失いそうになることがあります。その時その時で深めたいと思う分野、例えばシニアヨガならシニアヨガの、ヴィンヤサならヴィンヤサのトレーニングを受け、インプットして自分のヨガのツールを整理する。方向性を定める。そういう事のためにトレーニングを活かせたらいいなと思います。

終了証は経歴を華々しく飾るためにあるのではありません。同様に自分を良く見せたり、自分を納得させるために経歴があるのではないと思います。多種多様な資格で経歴を固める人ほど自分に自信がなかったりもしますよね、、

肝心なのはTTやワークショップを受けた数ではなくて、落とし込む努力をしているかということです。量より質!これはヨガに限らず全てにおいて言えることです。習ったことをすぐには教えられませんし、修了証は「学びました」という証であって、「教えられます」ということは別問題です。

受講したTTなりワークショップなりの時間数をただ淡々と受け入れ、内容を咀嚼し、落とし込んでから教える。そうあって欲しいと願います。

True Arts Yogaでは11月から半年間、長年の構想であった300時間(アライアンス500時間)のアドバンストレーニングを実施する予定です。詳細は追ってお知らせします。

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Congratulations!

by mayayoga | 2017-07-04 12:46 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

「ことばとじかん」通訳weekで考えたこと色々

NYから帰って来てすぐ1週間ほど通訳でした。
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↑女が惚れるいい女、Kanakoさんから頂いたお花♡いつもありがとうー!

まずMaria KirstenのメンタルヘルスのためのヨガWSとシニアヨガTT。
マリアのティーチングは地に足がついていて好きです。ヨガという枠にとらわれず、また“シニアヨガ”という枠を超えて「日常の機能動作をいかに効果的にこなすか」「強さとしなやかさ(筋力・スタミナ・柔軟性)のバランスの取れた身体を作るか」に焦点が絞られていて余計なことがない。せっかくヨガをするんだから身体にとって、そして生活にとってプラスになるようじゃないと本末転倒。

「ポーズを教えるのではなく、ポーズを通して身体に必要な動きを教えるのです」

何度も言っていたこの言葉は私のモットーでもあるので、とても共感。
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週末はおなじみドミニカのトレーニング。
もう何回目の大阪でしょうか、ベーシックシリーズ、逆転ポーズ編、そしてこの女性のためのリストラティブ、ともう何回関わったか忘れるぐらいご一緒していますが、いつも「指導者としてどうあるべきか」というシンプルかつ基本的なところで大いに学ばされます。
リストラティブも単なる休息にならないよう、足や脚の働きをきちんとしてから背骨の伸びを感じたり、胸を開いたり。アイアンガーにはきちんと検証と実践、そして理屈があるところが好きです。
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通訳は言葉を届けるだけの存在ではなく、その講座の空気感をも担います。
先生のトーンやカラー、その講座の目的とするところに基本的には口調を合わせます。どれだけ正確でも、まくしたてるような早口はダメ(生徒がノートを取れない)。しかし限られた時間を1分1秒も無駄にすまいとも思います。通訳を通すことで先生の本来のティーチングがそれでなくても“半分”になってしまうのでね。

ワークショップやトレーニングは限られた時間の中で講座が展開します。
参加者は皆さん労力とお金を費やして来ているので、言わば5時間なら5時間は“みんなの時間”なわけです。長ったらしい自己紹介をするのも(誰もあなたのヨガヒストリーを聞きに来ている訳じゃない 笑)、先生の注意を引くことだけが目的に思えるような、グループにとってあまり有益ではない質問をするのも(例えば個人的な、あるいは勉強不足から来るような質問だったり)、休み時間の度に質問に来たりするのもいかがなものかなー、と思います(休み時間は先生と通訳も休みたいもの。トイレにも行けないよ…)

また言葉を扱う仕事をしていて思うのは、うまく言いたい事をまとめて発言したり質問したりできる人はインストラクションも端的で分かりやすいということ。自分のTT生達には常日頃から口を酸っぱくして言っていますが、プレゼン能力もヨガティーチャーにとって大切なスキルの一つです。

日本人によくあるのが、脈絡なく話したり要領を得ない質問をすること。
「前からちょっと肩が調子悪くて、色んなクラスを受けに行くんですけど、インストラクターによく反り腰だって注意されて、自分ではそんなに自覚ないし特に腰が痛いとかはなかったんですけど、アサナにすごい癖があるとかって言われて。あ、その前に首を一度痛めたことがあってー、、、」
…って結局何が言いたい(聞きたい)んですか?って参ることがあります。日本語と英語とでは言葉のつくりが違うから仕方ないのかも知れませんが、主語がなかったり、結論を最後まで言わなかったり、話しているうちに何が言いたいのか当の本人が分からなくなってしまったり…

・・・話が逸れました。
ヨガ通訳はほぼ日本語力とテンポとヨガの専門知識が物を言います。また、自分の声を通して先生のティーチングを届けるけれども、そこに「わたし」が出過ぎてはいけない。かと言って黒子でもない。存在感を出し過ぎず、いい調味料ぐらいになれたら良いかと(笑)

いくら正確に訳しても伝わらなければ意味がないので、なるべく自然な日本語になるよう努めていますが、そうすると長くなったりして納得のいく仕上がり(笑)になりません。ただでさえどうしても英語より日本語の方が長くなってしまうのに。
たまに参加者から「先生が言ってないことまで言って下さってすごく分かりやすかったです!ありがとうございます!」とか言われると「うーん、それも違うんだけどなー…」と頭を抱える。基本的に先生が言っていないことを付け加えてはいけません。しかし直訳だと意味を成さない場合は意訳にすることもあります。丁寧であろうとするあまり、くどい言い方になってしまうこともあり、それが多分「補足してくれて…」になるのでしょう。悩ましいです。改めてこの仕事の難しさを感じます。

通訳仕事の翌日は冬眠か?と思うほど寝て、回復するまで最低でも丸一日かかりますが、それを上回る魅力はやはり講師と生徒との橋渡しができた時の充実感でしょうか。それから私はそもそも言葉を扱うのが好きなのだとも思います。読むこと、書くこと、発すること、考えること、、、それぞれに豊かで飽きることがありません。

ビール開けて反省会して次!!
by mayayoga | 2016-12-06 16:30 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

魅惑(疑惑)のインド その②

リシュケシュ滞在中の出来事

深夜3時、
ドン!バン!バン!というただならぬ音で飛び起きた。

一体何事かと思ったら、
どうやら私の部屋のドアが破られようとしていた。

誰かが体当たりしてドアを開けようとしている。
安宿の頼りない鍵とドアは今にも壊れそうだ。

状況が把握できない混乱と恐怖の中、
ありったけの力で内側からドアを押さえながら

"WTF! Who the fuck is it ?!"
何なんだよ!誰だコノヤロー!

そしたら心底気持ち悪い男の声で
"I wanna sleep with you"
君と寝たい ときたもんだ。冗談じゃない。

しかしそれならそうと、そもそも部屋をノックするところから始めるだろうが(笑)

なんの前触れもなく夜中にドアを蹴破ろうとするなんて
タチが悪すぎる。底知れない異常さを感じた。

"Get the hell out a here!!!" 出てけー!
I'm gonna call the police!!" 警察呼ぶぞ!

毛が逆立つとでも言うのでしょうか
アドレナリン最大放出。心臓バクバク。
まさに"Fight or flight" 闘争逃避反応 ですね。
交感神経優位になり、全身の血流が手足に行く
(戦うか逃げるかするためにね)ってやつ。

この部屋にはフロントに通じる電話なんてなかった。
隣の部屋には欧米人の男性が泊まっていたが、
運悪くこの日の朝チェックアウト。つまり空室。
上の部屋には先生(日本人女性)が寝ていた。
しかし床と天井は石造りで、声は届きそうになかった。

部屋は角部屋で廊下に面しており、腰高窓が2つ。
そのうち男は窓側に回り出し、今度は窓をカチャカチャ…
ちょっとしたホラーだ。

武器になりそうなものは何もなく、
バケツと椅子ぐらいしかない。
万が一ドアが破られたらどうしようか、
使えるものはないか必死に考える。
シーツをかぶせて、その隙に椅子でぶん殴って逃るとか。
でも犯人は1人ではないかも知れない。

ありったけの声で
ふざけんなー!とか、何なんだ!消えろー!とか
日本語英語でわめき散らし、ドタバタ暴れ、
男は諦めたのかしばらくして静かになった。

当然眠れるわけもなく、ドキドキしながら様子を見る。

そしたら
小一時間してまた来やがった。体当たりpart2
恐怖通り越して怒りが湧いてきた。

「ドアは蹴破るもんじゃない!頭おかしいんか!
ノックすんのが先だろうがぁ!!」

の後、何て叫んだか覚えてない。
考えつく限りの英語の罵り言葉言い尽くした(笑)
再び攻防戦。ドア→窓→ドア→窓 の繰り返し。
もーやだ。

空が白み始めてようやく朝。
街がザワザワとし出して従業員や宿泊客の
朝の気配を感じてからようやく部屋を出て
一目散にホテルの管理人のところへ。怒り爆発。
同時に上階の先生のところにも報告。

「なんだって?!」と驚愕する管理人。

とは言え、私は犯人追及にも解決にも
大して期待はしなかった。
外国とはそういうところだ。
「そうなんだ、大変だったね。いろんな人がいるね」
で終わり。
自分の身は自分で守らねばならない。

この時期、休日か寺院への参拝だかで
インドの地方からリシュケシュへいわゆる「よそ者」が
多く来ていたらしい。結局、
「他の地域から来たやんちゃ者の仕業だろう」
ということになった。

これも「やっぱりね」だった。
外国ではよくあること。

大概都合の悪いことは他人のせいにしたがる。
ここの人間がやったんじゃない。
よその悪い奴の仕業だよ。
ここの人達にそんなことする奴はいない。
…という具合に。

この時(約10年前)は、インドで大きな問題になっている
レイプ事件について知らなかった。近年、世界的に関心を
集め、いかにこのような事が頻発しているかを後々になって
知ることになったわけだが、さもありなん。
「ああ、こういうことだったのねー」と納得する。

欧米人女性がホテルで被害に遭いそうになって
窓から飛び降りて脱出したケースもあった。
合鍵を使って入られたらしい。従業員もグルだった。


インド北部のリシュケシュはヨガの聖地だ。
アシュラムや寺院が多くあり、ヨガに携わる人、
ヨガの学びに身を捧げる人も少なくない。
そんな環境から、他の大都市に比べると穏やかで
比較的安全、悪い人はあまりいないと考えられている。

しかし、当然ながらそんなことはないのだ。笑
どこにでも人を騙し、貶めようとする悪人はいる。
外国人が集まる場所なら尚のこと。
カモが集まっているということだ。

インド農村部の女性蔑視、残酷なレイプや殺人事件について
知ったのはずっと後になってからのことだけれど、

自分の身に起こったこの事をきっかけに、
インドに対する憧れや尊敬や期待感は一切なくなった。
幻想を抱かなくなった。それどころか
ますますドーン!と地に足ついて帰ってきた。笑

「リシュケシュはさぞかし神聖な場所だろうから、
素敵な経験と学びが待っているわよねぇ
行ったら価値観変わるのかしら?
スピリチュアルなことに目覚めるかしら」

なんて期待して行ったつもりはなかったが、
どこかで浮かれていたのだろう。

「インドに行ったら何が変わる」的な
他力本願があったのではないか。

否、何も変わらない。


何かを求めて行ったら何も変わらないけど
何も期待しないで行ったら発見がある。

そんな感じじゃなかろうか。
インドに限らず、きっとどこでもそうだろうけど。

それ以降
「インド?わぁ素敵ー!」なんて全然思わなくなったし
もう一度行こうなんて気にもならなかった
(しかしその数年後に仕事で再び行くことになるのだが笑)

何でもそうだけど、
外に答えを求める限り何も見つかりはしない。
旅は考えるきっかけを与え、経験から更に考える機会を
与えてくれるだけの存在ですね。

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by mayayoga | 2016-05-13 10:51 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

魅惑(疑惑?)のインド

ヨガをしていたら
誰しも一度は行ってみたいと思うのがインドだろう。
10年くらい前の私もそうだった。
ヨガを始める前から興味があったインド、
究極の面白旅ができそうな予感がしたし、
よく言われる「価値観変わるよ!」
なんていう言葉にも弱かった。

ヨガをするようになってからは
ますますその発祥の地であるインドに惹かれたし
伝統に触れてみたかった。行ったら自分のヨガの
練習の何かが変わるんじゃないか、とか
何か掴めるんじゃないか、とか、
それこそ価値観が変わるかも!
なんてワクワクしていた。

アーユルヴェーダ、マントラ、プージャ、哲学、
占星術、アシュラムでの生活、ベジ食、
伝統的アーサナ、寺院、神様たち、、

そういうキーワードはちょっとヨガをかじって
ハマり出した者たちを魅了する。笑

で、行くことにした。
20代の終わりに確か10日かそこら。
お決まりのリシュケシュとハリドワールにね。

その当時習っていた先生が、総合的なヨガの学びを
深めるためにインドと日本を行き来する生活を
していて、その影響を受けたというのもある。
何よりとにかく行ってみたかったし、
色々体験してみたかった。要はインドに
「自分探しヨガver.」的な期待をして行ったわけだ。

結果、旅行としては面白かった。
観光地的なところは一切行かなかったにもかかわらず。
(私の旅はいつもそう。名所とかスルー)

でも別に何も変わらなかったし、感化されなかった。
それどころか色々と覚めて(冷めて?)帰って来た。

アーユルヴェーダのクリニックでは
「うん、健康!問題ナシ!」と言われ、憧れの、
処方された薬をアーユルヴェーダ薬局で買う♪とか
毒素出すトリートメント受けに通う♪とか、
いかにも「らしい」ことは必要ないと言われた。
納得いかない顔の私にドクターは
「そんなに何か飲みたいなら、コレでも買っといたら?」と言い、
どこにでも売ってる万人向け健康食品、
ミキプルーン的なペーストを入手して終了。笑


色んなクラスを受けに行くも、
どれも普通。大概イマイチ。
目から鱗!みたいなクラスには出会えなかった。
1つだけ、とても好きでハマった川べりのスタジオで
陽気な先生のクラスがあったけれど、
チャレンジポーズと派手なアジャストオンパレードで
身体クタクタ…あれよあれよと言う間に
自分では届かない場所に手足が届いたり、
できないアーサナができたり。
普通はそれに夢中になるのかも知れないけれど、
私は次第に何だか自分でやってる気が
しなくなってきてしまい、飽きた。

私の受けた数少ないクラスにおいては
ほとんどの先生が生徒の身体を大して見ても
いないような気がした。全然心地良くない。
練習する部屋は寒いし(2月だった)
埃っぽくて汚いし、集中できない。
正直アーサナだけなら解剖学に詳しく、多角的に
物事を捉えることができる先生のもと、アメリカの
スタジオで練習した方がよっぽどいいと思った。

「えー?!だってインドはヨガの本場だし、
伝統的なアーサナを学ぶって貴重なことでしょ?」

なんて声が聞こえてきそうですが、
そもそも「伝統的なアーサナ」なんて
なかったかもしれないのですよ?

なぜなら、現在広く定着しているヨガ=アーサナ自体が
欧米的な考え方のもと、20世紀初頭の40年ほどの間に
作り上げられたものだから。
インドの伝統的なヨーガ実践においては
瞑想の座法を除く身体的鍛錬、つまりアーサナは
低俗なものとして捉えられていたのだから。

言ってみればアーサナはエクササイズ。
インドでもそれは同じだった訳だ。

※詳しくはマークシングルトン著
『ヨガ・ボディ -ポーズ練習の起源-』
を読むといい。とても興味深い

私たちが、伝統的なもの、もしくは古典だと
思っている太陽礼拝だってエクササイズ。

ー本文よりー
シュリ・ヨゲンドラは “太陽礼拝はインドの
太陽崇拝に合わせて作られた『体操の一種』で、
間違った情報を得た人々によってヨーガの一部
のように扱われてきているが、権威ある筋からは
はっきりと禁止されているものだ”


こういう解釈って面白い。

私たち日本人は、とかく「本場感」に弱いけれど、
私たちが勝手に作り上げたインドの「本物感」に
ごまかされて本質を見失う。
そして、外国人のヨガ熱と無知をいいことに、
それを利用して適当な似非ヨガ商売をする
インド人もいることだろう。

インドだからいいわけでも、ダメなわけでもない。
欧米がダメなわけでも、いいわけでもない。
作られたイメージに惑わされず、自分で選んだらいい。

よく「やっぱりヨガとかしてたらぁ、
インドって一度は行った方がいいですかねぇ?」
って夢見るユメコ系の子に聞かれるけど、

「うーん、どうかな^ ^何がやりたいかによるよね」
ってニッコリ答える。本音は

「“行った方がいいか”なんて知らんわボケ。
“行きたいか・行きたくないか”やろが。
自分で決めぇや!」だけども。笑

アーサナだけなら今やどこでもできる。ただし、
アーユルヴェーダを本腰入れて勉強したい
ヴェーダンタやサンスクリット語を学びたい
マントラのきちんとした発音と意味を知りたい
伝統的なヨーガを総合的に学びたい
インドの文化として根付いているヨーガに触れてみたい
ならば、インドに行く意味は絶対にある。
インドの学校でしか学べないことはたくさんあるだろう。

しかし、そういう人たちや諸先輩方は
何年も費やして学びを深めておられるからね。


ちょっと旅行で行ったぐらいじゃそうそう人生変わらない。
旅行は旅行。本人は何かを掴みに行くつもりでも、
やっぱり旅行なのだなぁ、と思う。

長くなったので続きはまた…
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by mayayoga | 2016-05-07 17:04 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

依存と自立 その②

あんまり言われることないけど、もし
「マヤ先生みたいになりたいです」とか
「憧れます」とか言われたら
複雑な思いがするだろうなー。
服装や、立ち居振る舞いや、教え方で
わたしのコピーみたいな人たちが出てきたら
もっと気持ち悪いし、自己反省するなー…

それってそうさせてしまう何かがあるってことで、
生徒を依存・執着させたりするってこと。
本人は意図してのことじゃなくても
「わたしを憧れの対象として見て」
って発信してる何かがあるのではなかろうか。
そして、実はその人自身にも依存・執着傾向があるような気がしてならない。

先生を憧れの対象として崇める生徒よりも、
憧れの対象として見させる先生側に
問題があることが多いんじゃないかなー。

深いところでは、コンプレックスと繋がってる気がする。
ブランドものや良いもので身を固めることで
自己証明する、みたいなね。
外見何もかも抜かりなくすることは、裏を返せば
素の自分で勝負できない弱さだったり。

私はブランドものに全く興味がないけれど
中途半端な成金や見栄っ張りはブランドネームに惹かれて、
本当のお金持ちはあんまりそういうこと考えてない気がする。
エルメスのケリーバッグをLLBeanのトートバッグ並みに
ガンガン床に直置きして使うとか(笑)
無造作に扱うとかしてるマダムがいたらカッコいいなぁ!
バッグは物入れるもの!車は移動するもの!
どんなにいい車乗ってても肝心の中身(所有者ね)が
不釣り合いだったら失笑もん。
もしも私がヨガセレブだったら、フェスタとかの会場に
颯爽と軽自動車で乗り付けるぐらいの余裕とユーモアかましたいなぁ。笑

話が逸れました。
ええと、依存・執着傾向ね、

もちろん中にはたまに、神がかってる、常人離れした
不思議な魅力を持つ人がいる。
本人には全くそんな気がなくても、そういう人の元には
癒されたいとか救われたいとかいう厄介な人たちが
やってくるから、それはそれで大変だな〜…と思う。
それはもう、そういう星の下に生まれたと思って
受け入れるしかない。菩薩だ、菩薩。

だけどそれ以外の多くの場合、カリスマという称号は
本人の勘違いか、周りからのイメージ操作のような気がする。

カリスマ歯科医、カリスマ整体師とか言われてる人は
大概胡散臭いし、自分でカリスマを名乗っちゃうのはもっとアウト。

本当に腕のある人は残るけど、メディアで話題に
なるような人や“◯◯メソッド”って
一過性のもののような気がしてならない。
それでいいからうまーくそれを利用して、
自分の名前と顔を売って、、っていう
“したたかさ”があればそれでもいいと思うけど。

カリスマじゃなくていいから普通に、いや、めちゃくちゃ
腕のいい歯医者さん、みたいな存在でいたいな。
派手じゃなくていいけども一流を目指したい。
言うなれば柔道の師範みたいな感じかなー。
K1とかに出てなくて、派手に広告打ってなくて、
でも紅白帯の知る人ぞ知る強者、みたいな。

普通普通、普通が一番。

ヨガのおねえさん的な存在かな。
(っていう歳でもないので、おかあさんでもいいや)
いやいや、わたしは親しみやすい訳ではないからちょっと違うかな。笑

目標とされるような存在になることはいいけど
盲信的について来る生徒を作るのは違う。
執着したくないし、させたくない。

同様に「マヤ先生のクラスはすごいです!」とか
「他の先生と全然違います!目からウロコです!」
とか言われたとしたら、それもなーんか違う。

うそやん!嬉しいやろ?
なにカッコつけてんの?

て言われるかもしれないけど、、
いや、ほんとに。
確かに有り難いことだとは思うけど、
批判覚悟で言わせてもらおう。

わたしがすごいんじゃない。
他の先生がちゃんと教えてないだけ。
もしくはちゃんと教えてる先生に出会えてないだけ。

普通にティーチング勉強して教えてたら、
生徒の課題を見抜き、それに応じた教え方ぐらいできる。
っていうかそれぐらいは当たり前。

過度な柔軟性はセーブし、硬い身体は柔軟にし、
体力筋力が足りない人はスタミナつけさせ、
各自の課題に意識を向けたティーチングをする。
それを通して目的や取り組みを明確にしたり、
精神的スタミナを身につける。
道徳観に触れ、考えるきっかけを与える…

わたしを始め、指導者はそれに気づかせ導くだけだ。
やるのは生徒、決めるのも生徒。選ぶのも生徒。
何かができるようになったり、何かに気づいて
変わったとしたら、それはわたしのおかげではない。
生徒自らがやったことだ。

素晴らしいのは私ではなくヨガ。
ヨガが素晴らしいのは、自己変容を起こせるところ。
そして、そんな風に変わっていく人の成長に立ち会えるところ。

この仕事は素晴らしい。
けれど、それを自分の名声や地位を高めることに使い出したら終わりだ。
by mayayoga | 2016-05-05 05:00 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

依存と自立

バリくそムカつくことがあり、
(言葉悪くて失礼します)
怒りで震えていたときに
「今から行くよー」と言って駆け付けてくれた友人。
コーヒーに付き合ってくれ、スーっと楽に。
また、同じ価値観で頑張っている友人の存在や、
意見をくれる友人の存在は本当にありがたい。

フリーランスという仕事は会社の後ろ盾もなければ看板もない。
自分で勝負していくしかない。

だから方向性が間違っていないか、ブレていないか、
冷静に見ていかないといけない。

嫉妬やつまらないいざこざや、
取ったの取られたのの足の引っ張り合いや、
売名行為、詐欺と搾取、
裏切り、腹の探り合い、
人のふんどしで相撲を取ること…
などなど、どの業界でも珍しい話じゃない。

けど、道徳観を語ったり、
クリーンで健康的なイメージで売ったりしている
ヨガスタジオとヨガインストラクターが
これをやっちゃおしまいだと思う。

囲い込みやコントロール
競合への嫌がらせ
・・・アパリグラハ(貪らない)、ヴァイラーギヤ(執着しない)はどうした??

経歴を盛ったり、実力以上のものを欲しがったり、
実際より良く見せようとしたり、
言ってることとやってることがマッチしてない
・・・サントーシャ(知足)、サティヤ(真性)はいずこへ??

金額に到底見合わない内容のワークショップや
トレーニングをするのも、
実際の実力や内容以上の見せ方をしたWebサイトで勧誘するのも、
甘い言葉で生徒を呼び込むのも、
行ってはみたものの告知と全然違うペラッペラな内容のWSで生徒をがっかりさせるのも(笑)

それハッキリ言って詐欺と搾取ですからね。

なんなんだ、この業界!!
ていうか有名・一流ヅラしたそこのヨガスタジオ!

やってることは善人の顔したヤクザ。
どうしても打ち出したいらしい「一流感」はハリボテでしかなく、
中身も何もあったもんじゃない。
外身を取り繕うばっかりで、肝心の中身を良くする
努力を怠ったら、自然に人は離れていく。


そもそも「私たちの生徒」なんてものは存在しない。
ヨガの前では皆等しくヨガの生徒であり、
「私の生徒さん」、「私のTTの生徒」、「うちのメンバー」
なんて概念は、私はひとかけらも持ちたくない。
「うちに属している」というのは
こちらが決めることではない。生徒が決めることだ。

そして、「尊敬」という概念は相手に求めるものではない。
相手から信頼されるよう自らを高める努力をすれば良い。

その時期たまたま縁あってクラスに来てくれる。
TTで学んでくれる。
でも、ずっとそのままじゃ困る。
巣立って行ってもらわないと。
練習が進むにつれて、より深い領域に興味が湧いたら、
また、ヨガでも違うスタイルに目覚めたら、
それをちゃんと教えてくれる指導者を見つけて欲しい。

例えば、私にアシュタンガヨガは教えられない。
でも、「この先生なら間違いないよ」とお勧めできる人を何人か知っている。
ヨガ解剖学なら誰、瞑想なら誰、
こういうクラスなら誰、、、
と、尊敬と信頼を抱いている同業者を
身近な人にお勧めできることはむしろ喜ばしいことだ。
アプローチは違えど、ヨガの道の目指す所は同じだから。
相手を尊重しないと、尊重も尊敬もされない。

いつでも、どんな場合においても、生徒は自分で
学ぶ場所や教師を選ぶべきです。
その当たり前のことを制限する。もっとひどいことには
生徒の自由意思を邪魔するなんてことは
絶対にあってはならない。



一番大切にするべきは自立。
どんな分野であろうと「指導者」たるもの

生徒が独り立ちできるように育て、
独立開業したら花を贈って祝い、
活躍していれば自分事のように喜び・応援し、
生徒から足をすくわれたら
「きっと私の教育が悪かったのね」
と自戒すれば良いのです。
嫌なことをされたら
「でも、あの子もいつか同じ目に遭うわよ」
と静かに見守る。



エセ指導者、エセヨガ人… いくらでもいるでしょう。
が、生徒さん達は賢くあって欲しいです。

消費者は賢く選択して欲しいと思います。
依存する方も悪いけど、依存させる方にも問題がある。

ヨガのクラスには確かに色んな人が来ます。
救いを求めたり、過剰な自己肯定感を求めたり、
認められたい、癒されたいと思って来る人もいます。
けれど、「ずっとそれではダメなんだ」と
身体と心の癖やパターンに気づかせ、
自分の足で立って歩くことを教えるのが先生ではないかと思います。

悩める生徒の依存傾向をここぞとばかりに利用するのはタチが悪い。
悪徳商法と何ら変わらないからね。

ヨガで大切なのはヴァイラーギヤ(無執着)だ、
ブラフマチャリヤ(道徳観を保つ)だ、
って教わらなかったか??

SHAME ON YOU !!!!!!

by mayayoga | 2016-03-22 21:16 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

書くということ

書くことと描くことが昔から好きだった。

このブログを開設したのはもう8年も前になる。
最初は自分で場所を借りてやっているクラスのスケジュールやイベントの案内などをお知らせしたり、その頃作っていたヨガマットバッグの宣伝をしたり、ヨガに関する小話を発信できたらいいなと思っていた。

最初の頃の記事なんてだいぶ笑える。
スムージー(出たー)とか「今日の持ち物」とか。
どーでもいいし!お決まりのティンシャ入ってるし(笑)

ちょっとした投稿はFacebookに取って代わられて、以前ほど頻繁にアップしなくなってしまったし、最近はクラスのお知らせやTT絡みの告知にしか使っていないけれど、飽きっぽい私が長年細々と続けていられるのは何故だろうと考えてみた。

記録ツールとして、また何かを発信する手段として使いやすいからだと思う。

ブログは日記だ。だから頭の整理をするのにいい。
さらにそれをわざわざ公開するわけなので、すごく考える。

自分の考えをまとめ、文章にし、それがどう伝わるか。もっとも受け取り方は読み手次第だし、別に小説を書いているのではないから常に読者層(笑)を意識している訳ではない。だとしたら自意識過剰もいいところ(笑)

私はこういう人間で、こういう考えのもと、こんな仕事をしていますよ。という表現ツールなんですよね。
ヨガのクラスにしても、書く文章にしても、その人らしさがどれだけ表れるか、伝わるかを私は重視しています。

自分じゃないことは書けないし、教えられない。
ものすんごくいい事書いてても、言ってても、肝心の人物とマッチしていなかったらアウト。どころか、評価を下げることになる。

「あの人こんないい事言ってるけど、実際の人物とエラいズレてるな」っていう具合に。

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↑(TTではクラスレポート以外にもたくさんの「書く」課題を出しています。
提出を重ねるごとに単なるレポートではなく、みるみる読み応えのあるものになってきます。)

TT生には、公開しなくてもいいからブログを開設し、書いてみることを勧めている。

自分の考えをまとめ、相手に伝える。
それはヨガクラスの指導においても求められる要素だから。

もっと言えば一貫性という大事なことに気づく
そのためのツール。

ブログで何かを発信するからには、言ったことに責任を持つ。言動に一貫性を持つ。ブログを書くというのはその覚悟でもあるんです。

文章にはセンスが出るから、飾ろう、よく見せようと思うと陳腐になる。

ただ、、
すみません、ホントすみません、言わせて下さい。
最近よく目にするようになった
「皆さんこんにちは、〇〇〇の〇〇です」
の書き出しと意味不明の肩書きから始まる個人ブログ、
あれね〜、何とかならないもんでしょうかね〜、、
もとい、どうして揃いも揃って同じ感じになるんでしょうね。

いや、それぞれにお考えあってのことでしょうし、それでお仕事しておられる訳だし、私がとやかく言うことではないんですけど、

何せセンスがね…
こう百花繚乱だと苦笑い通り越して面白いです。
「あなたの人生を変える〇〇」とか
「あなたの〇〇を目覚めさせる魔法のメソッド云々」とか
よう考えるなぁ。

自己啓発系に多いのかな、
なんとかカウンセラーとか、なんとかアドバイザーとか
自称も自称。一歩間違うと色物扱いですよ。

ご本人は起業家気取りなのかも知れないけれど、
そもそもブログってただの日記じゃなかったでしたっけ。
ブログを販促や宣伝のプライマリーツールとして使っている限り、いっぱしに仕事できる人のようにはどーしても見えない。

私もブログはイベント告知したり、宣伝に使ったりしています。けれど、、「こんにちは、肩書き」系はうーん…どうにも…

前に友人とこの話題になった時、
こんなの送って来よった。

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『こんにちは。アメリカ帰りの帰国子女、みんなのハートをノックオンしちゃうヨガインストラクターNaokoです♪』※本人から転載の許可は得ています


爆笑。20歳で強烈に調子に乗って撮った写真だそうです。
どこで売ってんのよ、この星条旗シャツwww


どうせならこのぐらい振り切って欲しいものです(笑)
笑いにはセンスが要りますよね。
笑いに変えるぐらいの心意気があれば、何だってできそう。
大阪に移り住んで良かったことの一つは、笑いのレベルが高いこと(笑)


私もそのうちブログの書き出しを肩書きから始めるかも知れません。
「皆さんこんにちは。自称ヨガインストラクターの金子マヤです」とかどうかしら。
「あなたの人生にスパイスを。こんにちは!カリスマヨガインストラクター(いるけどさ、自分でカリスマとか言えてしまうのはどういう幸福度だろう?)のMayaです」とか?(笑)

…このネタで当分友達と飲めそうです。

by mayayoga | 2016-02-12 17:07 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

久々の本音爆発

ファッションは好きだけど、ヨガはファッションじゃない。
ましてやヨガはかっこいいもんでもオシャレなもんでもない。

注目されたい。有名になりたい。ギョーカイ人ぽくてかっこいい(笑)
とか思ってる人、先生してる人(いや、ホントこれが結構多い)は
悪いこと言わないからさっさとヨガティーチャーの看板下ろしたほうがいい。

ヨガは
お金にならない
(それどころか学び続けようと思ったらお金かかる)
地味で地道(笑)
練習と学びが一生続く

これ、単純に考えて好きじゃないとできない。
ヨガが好き。これにつきる。

ついでに指導者になるなら
人様に物を教えるわけですから、さらに自分を律し、磨き、
「人の成長や自立や成功に喜びを感じられるか」
ってところが大きいと思う。

「なんかさ、ヨガってクールだよね」ってノリの人、
ヨガの練習に現われもしないのに、
ヨガイベントにだけは欠かさずいる人(笑)、
何だか知らないけどノリノリのイベントで盛り上がって
かわいいイントラさんとの楽し気な写真をinstaとか
ソーシャルメディアにupすることだけは抜かりない人…

ヨガが好き。イベントとか楽しいことが好き
お客さんだったらそれでも良いと思うの。
ヨガを趣味でやってるわけなので。

アカンのはそれにステイタスを感じて勘違いしちゃうヨガインストラクターね。
練習して勉強して、努力して、、ってやることやってたら
文句言いませんけどね。ギョーカイジン、ゲーノージン気取りで
そっちにばっか忙しい人ってどうなんでしょうね。
ソーシャルメディアに上げる内容が楽しげなものだけで薄っぺらいのもね、、

ヨガパーリーピーポー(ヤバい、書いてて恥ずかしいわ笑)って
イケてるって思ってるの本人だけで
冷静なまともな大人たちから見たらイタいだけだよ、ホント。
そして、、
有名なタレントさんを教えていることや、つるむ(笑)こと、アピールすることでも何でもないですよね。

大体ヨガ業界なんてちっぽけなもんです(笑)
ヨガ界で有名だ注目されてるっつったって、広く一般社会では全然ですよ。
試しに有名なヨガの先生、もしくは憧れのヨガモデルさんでも誰でもいい、
その人のことを知っているか街行く人に聞いてみるといい。
「誰???」ですよ。説明したところで「はぁ」ですよ。
だからこの世界で天狗になることほど寒々しいことはない。
それってダサいし失笑もん。このヨガ業界なんてちっさいもんなんです。

この世界、ヨガティーチャーという仕事は一見華やかに
見えるのかもしれません。先生先生と言われること、
やれ雑誌だ、やれ最新のウェアだ、に惑わされて
憧れから入る人が少なくないことも知っています。
現実を知って離れていく人、ヨガをやめてしまう人がいることも。

何が言いたいかというと
身の程を知って、冷静に、うまく立ち回りましょう(笑)ということ。
もっと言うと「他人軸」ではなく「自分軸」でいることです。
ヨガで大切なのは自分を知ることなんてよく言われますよね
それが基本中の基本でありながら、俯瞰して見られない人、結構います。

「ヨガが好き」なふりをしながら、実はヨガを自己肯定の手段として
利用しているだけの人も残念ながら少なくありません。
ネイル、化粧、最新のウェア、どれ一つも抜かりなく、
先生としてどう見られているか、立ち振る舞いはふさわしいか、
「先生素敵~♡」と慕ってくる生徒の数、人からの評価、
はたまた自分の先生から気に入られているかどうか、、、

そういうものを気にしすぎるのは、他人軸です。
自分に自信がないことの現われだったり、
不安要素をごまかそうとしているだけ。
ブランドもので固めないと自分を証明できないのと一緒ですね。

本当にヨガが好きだったら恰好なんて構わず
スッピンで朝練行くぐらい何とも思わないでしょうし、
さすがに人前に立つのには最低限の身だしなみは必要ですが、
まぁ、普通にしてればいいわけです。
本当に優れた指導者とかその道で一流と言われている人たちって
身なりは結構質素だったりしますよね(笑)
街歩いていると普通のおじさんおばさん、
おじいさんおばあさんにしか見えない。
名声とか外見とか、ソーシャライズとかそういうものに
ベクトル向いてないんですよね。そりゃそうですよ。
人にどう思われるか気にしてる暇があったら
自分を高めることにエネルギー使う。
誰に見られていなくとも気にしないわけです。
メディアに取り上げられようが取り上げられまいが、
ヨガイベントに出ようが出まいが、目の前の仕事をきっちりこなし
努力を惜しまない人。それがプロです。

ヨガティーチャーにアマはいはずですから(お金をもらわず
趣味でヨガを教えるならばアマと言えるのかもしれませんが)
もし念願の“ヨガインストラクター”を名乗るなら、
同業者に恥じないようにしましょう。笑

誤解を与えたくないのですが、
モデルさんのヨガインストラクターとかキレイどころを
否定しているわけではないのです。
彼女たちはモデルという仕事があり、
ヨガのスタジオなりメディアへの露出なり
広告塔としてのヨガとの関わり方があるわけで、プロなわけです。
それこそ自分の立ち位置を分かっているし、地に足ついてる。

厄介なのは大してヨガを知りもしないで、
学びを重ねようともしないで、浮かれてはしゃいでいる
最先端オシャレヨガインストラクター気取りのかわい子ちゃんたち。
(あ、、、言っちゃったw)
プロのモデルさんを差し置いて、モデル気取りの若い子たち。
人気インストラクター気取りで天狗になってるめでたい子たち。
若さと見てくれで集客できてるのか、
内容と指導力で集客できてるのか、
よーく考えた方がいい。
前者なら、うかうかしてると10年経ったら
昔はキレイだったよね、的なただの人になっちゃうよ(笑)
肝心の中身を充実させる努力をしないと、続かない。

「それでも、オシャレで楽しいことや、
人から素敵に見られたり憧れの対象でいることの方が
私にとっては大事なんです!」という人は、
ちゃんとやってる人に失礼だからヨガティーチャーじゃなくて
「ヨガを利用したタレントもどきです」
って名乗ってくれないかな、言うわけないか。
「みりん風調味料」みたいに、
「ヨガインストラクター風◯◯」とか(笑)

コイツ、何様~?と思われそうな投稿ですが、
別に自分がすごいとかどうこうとか、
そういうことを言いたいわけではなくて。
ましてやヨガの学びを前にしたらまだまだペーペーの
修行見習いレベルなわけですが、、
目に余る最近のヨガ的風潮(いや、ヨガを利用した風潮、かな)
にちょっと物申したくなってしまいましてね。 

身の程・身の丈を知る
謙虚でいる
ブレない軸を作ることにもっと労力を注ぐ

もうずっとテーマにしてきたことですが、やっぱり大切だと感じます。
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by mayayoga | 2016-01-04 02:50 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(1)

ビギナーズマインド

ヨガティーチャーのスキルアップのためのトレーニングを教えることは長年の私の目標だったわけですが、昨年True Arts Yogaというトレーニング主体のプロジェクトを立ち上げてから2回の独自のTTを終え、来年春に再び100時間のトレーニング指導が控えています。

単なる「インストラクター」と「ヨガティーチャー」との違いは大きいです。しかし巷で出会うのはほとんどが前者でしょう。前者と後者では求められる資質も、もっと言えば活躍の場も違ってきます。
指導者として、また指導者を養成する立場にある者として「良い先生」の質について常に考え、またこれからも考えていきたいです。

このコラムは友人のSandra Fangの立ち上げたコミュニティ、
Yoga Forest
http://yoga-forest.com/
に向けて書いたものですが、こちらにも投稿します。
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ビギナーズマインド -初心-
長年ヨガを教えていると、自分のやり方や信念が確立され、自信がついていきます。その一方で「こうあるべき」という考えにとらわれ、頑なになったりします。これで良いのだろうか?と迷うことも多々あります。

高名な禅の指導者、鈴木俊隆老師は著書『禅マインド・ビギナーズマインド』の中で

-“初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません”-

と書いています。何でもそうですが、慣れとは恐ろしいもので、熟練すればする程、ビギナーズマインド、初心を忘れてしまうのです。もっともヨガは Life long practice-人生を通して行う練習-と言われるほど学びの道のりが長いので、何年教えていようが熟練などとは到底言えないのですが・・・

自分が生徒として初めてヨガクラスを受けた時の感覚とか、先生の言っている事がさっぱり理解できなかったこと、周りの空気に圧倒されてしまったこと、できなかったことができるようになった喜びや充実感、初めてヨガを教えた時の緊張感、いかに準備に時間を費やし、試行錯誤しながらていねいに取り組んできたか、そういったフレッシュな感覚が次第に過去の思い出になってしまうのです。

「初心に返る」とはよく言われるものの、頭では理解していてもなかなか難しいものです。
物事を極めたり、何かを確立することは素晴らしいことですが、柔軟性や広い視野が失われてしまっては残念です。

「わからない・知らない」ということは素晴らしい可能性を持っています。新しいことに出会う機会を増やすことが初心を思い出す鍵だと思います。

私は今、ヨガのティーチャー・トレーニングも指導しているのですが、トレーニング生には「ヨガ以外の生活も充実させましょう」と言っています。とても単純なことですが、たまにはマットから降りて、ヨガの分厚いテキストも閉じて、ヨガとは全く関係のないことに没頭してみると良いのではないでしょうか。
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金沢 鈴木大拙美術館にて

by mayayoga | 2015-11-24 15:59 | ◇Yogaについてのあれこれ | Trackback | Comments(0)

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